#137 3月21日の「世界ダウン症の日」に想う①
「ミズカ、家を訪ねてきておくれよ。世界中で一番美しい、僕の天使をぜひ紹介したいんだ」
そう言ったラファの言葉を素直に受け取り、彼の住むマドリッドまで会いに行った。(今にして思えば、ラファはラファエルを短くした名前だったのかな‥‥)
25歳でイギリスに語学留学した時のことだ。
最初に選んだ学校はロンドンだったが、その時にたくさんの苦労や困難があったのは良かった。
その後コッツウォルズにある小規模な街に住むことになった際に、いろんな教訓が生きたからだ。
その年の夏は忘れられない。
たくさんの友達ができた。
『夏を謳歌する』ってこういうことなんだと思った。
そんなひと夏が過ぎ、コースを終えて帰っていったヨーロッパの友人たちを順番に訪ねる一人旅に出ることになった。
ラファのところに行くと言ったら、「じゃあ家もおいで」「家も寄って」と言ってもらえたからだ。
そうして、初めてのバックパッカーの旅が始まった。
スイスで2軒のお宅を訪ね、その後イタリアとフランスを横断するように電車に揺られた。スペインでも数人の友人たちと再会し、2軒のお宅に泊めていただいた。
ラファは大学院で勉強する学生だったので、研究で抜けられない時に、彼の友人数名が代わりに食事に連れて行ってくれた。随分と前のことなので今となっては、想定外だったことのほうが記憶に残っているものだ。
そしてとうとうラファの天使に会うことが叶ったのだ。
彼の天使、それはダウン症を持つ弟さんだ。
それまでダウン症の人を見たことはもちろんあったが、ちゃんと紹介してもらい、一緒に食事や行動を共にしたのは初めてのことだった。
その彼は愛くるしくて優しくて、本当に家族や友達みんなの中心にいた。
周囲が彼を保護しているわけでも、世話をしているわけでもない。
彼の周囲が笑顔になり癒されていた。
なんと言えばよいのか、求心力があるのだ。
実を言えば私はその日まで、「私の大切なダウン症の家族を会わせたい」という人に日本で会ったことがなかった。
敢えて言うならば、なんとなく触れてはならないことのように認識していたのかもしれなかった。
この記事を書こうとして、あるサイトの記述が目に留まった。
違和感が走る。
ものすごく違和感があるのだ。
「余分な」という言い方に‥‥
「身体的異常」という言葉に‥‥
余分な、というとなんだか「なくてもよいのに」というニュアンスを感じるのは私だけなのかな。
身体的特徴なのに、異常と言う。それが異常なんじゃないかな、と。
あの日ラファがダウン症の弟さんを私に会わせてくれたことで、天使のしずくが私に降りかかったのかもしれない。おかげで、以来私は多くのダウン症の友達をもつことになる。
私の人生のその時々で大切な存在でいてくれた人たちだ。
ポールのことを知ってもらいたくて固定記事にしていたら、多くの方に読んでいただいたり、コメントもいただけて嬉しかった。
今日は世界ダウンシンドロームデー。
明日からnoteで、私の出会った大切な人たちのことをひとりずつ紹介させていただこうと思っている。
一緒に写った写真たちを、
描いてくれたたくさんの絵を取り出してきて、見ている。
愛すべき彼らへの想いが止まらない‥‥