#158 自分のからだはこんなにも愛おしい Part1
自身の体に恨み言や劣等感を、ほんの少しも持っていない人って、どれほど居るのだろうか‥‥
「自分のここが嫌」「ここに自信がない」「私は○○が弱い」「もう少し○○だったなら」‥‥
かなり自分のことが好きな人でも、「欲を言えば‥‥」と言い出せば結構言い続けられるような気がする。
でもそれって、ちょっとおかしい。
いや、よくよく考えたらかなり間違っている。
食べ過ぎて太ってしまう人は食べる自分を呪うかもしれないが、そもそもご飯が自分で食べられて消化できる、って素晴らしいことだ。
脚を引きずることに悲しむ人も、まず自分で歩けることの幸運に気づけたらいいかもしれない。
感染の後遺症で最近片耳の聴力の衰えた私だが、嘆く前に、それでも『聞こえる』ことをこれまで感謝してきただろうか‥‥
自身から出た信念ではないが、理に適っていると思っていることがある。
恥ずかしいが、具体的に誰やどの本にどう影響されてきたか、ここで伝えられるほど私は記憶が良くない。ただ、これまで見聞きしたことによって自分の中でひとつにまとまっている気がする。
癌という病気。
私たちは、癌と『闘う』という言葉を使うが、癌は敵か悪なのだろうか、ということだ。生活習慣、あるいは物事の捉え方や自分や他者との向き合い方を「立ち止まって改めてみよう」と知らせてくれているとしたらどうだろう。
癌細胞も自分の体の一部なのだ。自分と生活を共にしてきた部分だという慈しみを持って「一緒に健康に戻ろうね」と声をかけてあげるのはどうだろうか。
癌を恐れたり憎むよりも、逆の愛するエネルギーのほうが、ホルモンも含め、血液・リンパや気の巡りをよくしてくれるのではないかと思っている。
以前マッサージセラピストだった時、私はホスピスで末期癌の方々の手足をさすりながらお話を聴くボランティアをしていた。
その時出会ったJさんのことが忘れられない。
彼女は、自分の腕に脚にゆっくりと、それはそれは丁寧にクリームをつけて自分でマッサージをしておられた。
「そんなに大事にしてもらうと体が喜んでますね」と言った私に、Jさんは「あなたも自分にそうしてあげてる?」と訊かれます。
「いや~、ぜーんぜん。そんなしませんって!」
と答えた私に、ちょっと悲しそうに
「体はね、私たちのためにとっても頑張ってくれてるの。もっともっと労わって、大事にしてあげなきゃだめよ」と伝えてくださった。
彼女の目の真剣さに捉えられた。
あれほど説得力のある言葉があっただろうか‥‥
着飾っていないけれど、凛とした美しい女性だった。
経験もしていないのに癌のことを書くのはためらいがありました。
闘病中の方にとって私の書いたことが思いやりや繊細さに欠けたならどうか許してください。ただ、誰しもが癌という可能性と隣り合わせなのだから、という思いはいつも持っている。
英語で Sweep (something) under the carpet という表現があるが、話題にしにくいことには(カーペットの下に掃いて隠す) =触れないでやり過ごすことをいう。
実感はないが、私たちの二人に一人が本当に癌にかかるのであれば、これが「触れられない」話題ではないことを願います。
今日のタイトル、『自分のからだはこんなにも愛おしい』ことを書きたいと思った理由があります。
ちょっと前置きが長くなったので、Part2 として引き続き書くので読んでいただけると嬉しいです。
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