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#119 冬の夜の 4匹の私たち


薪ストーヴの前で4匹の猫のようにゴロゴロと好きな恰好でみんながそれぞれ別のデバイスを見つめて、ただ空間をシェアしている。

どこのティーンエイジャーたちかと思われそうだが、これは晩ごはんの後にまったりする、50代の夫と私、そして20代の娘と息子なのだった。
「現代の最も悪い例だわ~」と我に返って苦笑する。


クリスマス前に帰省した子どもたちと久しぶりに4人の食卓を囲んだ。

私たちはダイニングテーブルでとにかくよく話す。食事が終わってからもデザートだのチーズコースだのとよく飲みよく語る。

イギリスではこんな家は滅多にないが、食洗器を使っていない。みんながワッと洗って拭いてくれるので片付けが終わるのも早い。

その後は、お腹いっぱいでほろ酔いで、急に静かになるから面白い。たまに誰かが話題を振ったり、面白いビデオや画像をシェアすることはあっても、『本来いっしょに居る意味ある?』というくらいみんな違う世界に没頭している。

なのにこの群れ方はなんだろう。たぶん半径2mの空間に、4人がどんだけリラックスしてる⁉という姿で寛いでいた。

理想をいえば家族でゲーム盤を囲むとかじゃないの?スクラブルとかモノポリーとか。

モノポリーはクリスマスと連想されやすい家族のゲームではある。けれど、お金のある人がない人を搾取する感じとか、誰かが破産して終わることとか、あまり後味のいいゲームという気がしない。
現に、我が家では長男も次男も破産の洗礼を受け、大泣きして終わった子ども時代がある。

人生にガツガツしなくてもいい‥‥という親の生き方のせいで、子どもたちももうモノポリーなんていうゲームを楽しめない体質になってしまった気がする。可哀そうに‥‥


かたやスクラブルは、私を除く全員が信じられないくらい得意とする遊びだ。英語だから到底太刀打ちできないのが恨めしい‥‥
だが、この年末年始には家族のなかでも天才的WORD GAME (言葉を作るゲーム) の鬼である次男がいなかったのだ。


この記事で思い出してくださる方もおられるだろうか、去年6月に日本に行った次男だ。
北海道のあと、私の家族のもとで過ごし、現在は沖縄の村で牛の世話をして牧場のご家族のお世話になっている。

パソコンいっぱいの画面の半分どうしでビデオ通話をする。真っ赤なツナギを着た次男はヒーローシリーズの隊員みたいだ。
後ろには牧場のサイロがそびえ立っている。

毎朝5時から仕事を始めているという息子が、どんなふうに牛を集めて連れてくるか、どうやって餌をまぜているかを語っている。
おもしろ可笑しく話す次男と、笑って聞いている長男長女。
彼らも一度は「自分だけが帰れなかったクリスマス」を経験している。
きっと「さびしい」は禁句なのだ。

今年はひとりここに欠けているのが、皆にとってのBaby (末っ子) だということにちょっと胸が痛むのだ。
ひとりで他所さまの釜の飯をいただいて半年。家族と離れたまま18から19歳になった。
そんなあの子のことがみんな恋しくて、スクラブルができなかった。きっとあの子を思い出してしまうからだ‥‥ 姉と兄も、弟の作り出す言葉を見て「ほ~ぅ」と自慢げに感心したいのだね‥‥きっと


4匹の猫のような私たちは、一緒に映画を観るでもなく、てんでんばらばら。

そして、それがなんだか心地よくて、
『こんな時間がずっと続けばいいのに‥‥』
私はそう思っていた。



『これがキンドルペーパーホワイトというやつなのか‥‥』

息子がクリスマスに買ってくれたキンドル本用のデバイスは目にも優しく、字の大きさも気分に合わせて変えられる。なんなら難しい文字をハイライトすれば瞬時に辞書が読み方も意味も教えてくれる‥‥
今ごろになってと言われそうだが、あまりの読みやすさに、ずっと読みたかった本を続けさまに読破。

明日はその本たちのこと、一人の著者について私がここ最近ずっと温めていたことをお話したいと思っています。





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