#254 イギリスで『GO露天風呂』の顛末
金曜・土曜と二泊するために私たちの辿り着いた場所は本当にどこからも見られることのないプライベートな空間だった。
「これなら裸でもお湯に入れる!」それが私が最初に思ったこと。日本人が露天風呂体験するのに水着は邪魔すぎるから。
セルフチェックインできる午後4時となるとかなりうす暗い。指示どおりにドアを開ける。
中はこんな状態。シンプルだけど清潔で、必要なものが揃っている。
室内は温かくも寒くもないという感じ。2時間後の入浴のため、早速夫にお風呂の火を入れ薪をくべてもらう。
月も星もないので外はピッチブラック (真っ暗闇)。風も相当強いとあっては
外にじっとして居られない。薪を足しに行く度に防水・防風コートを着込む。ドアを開けると風で飛ばされそうになるので、息を止めるようにして部屋から飛び出す。
ふたりで食事を作り、ワインを開ける。「湯舟に浸かって乾杯~」どころの話ではない夜だ。理想とは違ったけれど、風が吹こうが雨が降ろうが、熱い湯に浸かれば極楽へ行けるから、ウシシ‥‥なんて楽しく飲んでいた。
想定外だったのは、2時間で沸くはずのものが3時間半経ってもまだぬるかったこと。オーナーの説明書きだと35℃まで上がれば、入浴している間に湯温は40℃まで上がる、とある。夫が先に入り、温かくなるまでの間私はシャワーを浴びていた。
ところが夫が湯に入ってみると、まだ水が冷たい箇所があったようで、かき混ぜたら全体温度が爆下がり。「つめた〜い!」とひゃっひゃ言っている。
こりゃ無理だ。今晩は風が強すぎて、火の熱が保てないコンディションだったのだきっと‥‥ しかたない、明日もあるさ‥‥
夫は早々に湯から出て木の蓋を戻すと、よほど温かいお湯の出るシャワーに向かってきた。
クロックスを履いているのに、なんと夫の足の裏から血が流れ出ている。えっ?
こんなことあるぅ!?
血だよ、出血すごいじゃん
手当てをすべく夫は先にシェパーズハットに戻ったのだが、追って私が戻った時には木の床が血まみれ。夫は椅子に座って逆側の手で止血していた。
一連の出来事は風が吹き荒れる暗闇で起こった。本来は木から木へ等間隔に線で連なった電球が点いて外を照らしてくれるはずだったのだ。ただソーラー電池なので日照が悪かった分、働いてくれなかったのだと思う。夫は自分でもどうやって怪我したかわかっていない。暗闇過ぎて危険を察知できなかったし、風に気を取られて気づいてもいなかった。
ここ、危険やん‥‥
露天風呂に浸かれなかったことなんてもうどうでもいいやという気になっていた。
安全な場所で暖まりたい、もうそれだけ。
なんとか救急バッグを見つける。
消毒、バンドエイドを貼る。
少し落ち着いたので薪ストーヴに火を入れる。
シェパーズハットの断熱効率が良いわけがないのだが、この小さな空間は少ない薪で驚くほど温まり、さあ寝ようという頃には息苦しいほど暑かった。
5LDKの我が家を思った。薪をどれだけくべても薪ストーヴだけで家全体を温めるのは無理だというのに、シェパーズハットのなんとほかほかなことよ。こじんまり生きるってシンプル、好きかも‥‥と思いながら眠りに就いた。嵐は夜が更けても猛威を振るい、本来可愛らしかったはずの、役に立たなかった外の電球たちがガタンゴトンガタンゴトン、ずっと風に鳴っていた。
うるさいなあと思いながらも、眠ってはいたと思う。
眠るのが得意で普段どんな嵐でも起きない私が、午前4時、夫に起こされてしまう。夫がトイレに行こうと床に立った瞬間にぶちっと傷が開いたのだ。暗闇で真っ黒に見えた床の模様が、電気をつけたら血だったという。いっぺんに目が覚めた。
思ったより傷が深くて血が止まらない。救急に電話をして指示を仰いだところ、普通に息をしている人の優先順位は低かったので、自分達で救急病院へ行くことに。
ただ、視界ができる夜明けまで林の道を歩くのは危険なので、床のラグに滲みた血痕を、這いつくばって染み抜きに徹した。
Storm Darragh(ストーム・ダラー)
これが荒れ狂った風の正体だ。
なんと鉄道が全面停止、イングランド・ウェールズ間などの大きな橋が通行止め、あちこちで樹木が倒れて道が閉鎖され、十数万という家庭が停電となったという。私たちはよりによってこんなタイミングで自然の真ん中でのホリデーを予約してたのだ。
午前8時に地元のコミュニティーホスピタルが開き、レントゲンを撮り、手当てをしていただいた。
その間も風速が半端なく、午前中は移動せず風が収まるまで待機できるところにじっとしているようにアドバイスがあったようだ。
かの「不要不急の外出はしない」というフレーズを思い出す。
けれども個人主義のイギリスでは、皆それぞれ思いがあり、吹き飛ばされたくなければ出かけないだけ。シンプルだ。いろんなものが風で舞う中でも街はどこも開いていて、人も普通に出ているという有体。
コーヒーが自由にお変わりできるパブで、パンケーキなど食べながら嵐が弱まるのを待った後、私たちは真っ直ぐ帰路に着いた。
もうあの場所には戻りたくなかったからだ。
今回の件では、同じ場所に行っても、一生の思い出になる経験になることも、もう思い出したくない場所になることもあり得るのだと知った。
ただタイミングが違ったというだけで‥‥
もう一泊して自然の中をたくさん歩こうと思っていたし、
翌日こそはお風呂を温かくして浸かりたかったけれど、
何かが違ったというしかない。
私の露天風呂への期待値が高すぎたのだ。しなくていいものを、noteに『予告』などしてしまうほど楽しみでしかたなかった。
なのに至福の時となるはずの週末がトラウマになり、こうして顛末まで書く羽目になったという💦
人生でそういうことは残念だけどあるものだ。
家に帰ると、旅行カバンは二階の誰の目にも届かない部屋に鎮座していた。
車に積まれてないのを夫のせいにしようとした自分が恥ずかしい🫣
こうして私たちの週末は不完全燃焼に終わった‥‥
どうにも気持ちの入れ替えが出来なくて、息子に電話した。電話をしたのは8時間の時差の先に居るほうの息子ではなく、国内に居る息子だ。こんな時には、やっぱり同じ時間帯で繋がれるっていいなぁとしみじみ思った。小一時間喋って、心がスーッと落ち着いたのだから。
息子はただ週末の出来事と私の気持ちを聴いてくれただけなのだ。特別な何かを言ってくれたわけでもなく、ただ寄り添ってくれただけ。
息子ってのは凄いもんだなあと感心する。
あんなにザワザワしていた気持ちを魔法のように凪にしてくれるのだから‥‥
誰も悪くない。
「生きてるだけで丸儲け」
自分で言ったのに言ってるだけじゃダメだったわ。今こそしっかりと落とし込めないと、と思っている。
嵐なんかじゃなきゃ、きっとのんびりできたと思う。民泊サイトの写真はこんなだったのです。
しかも夏ならきっと、こんなおとぎ話みたいだったのよ。
普段の生活から離れるくつろぎの週末… とはならず
ホリデー疲れを癒すホリデーが欲しい気分で。
それでも週明けはやってきた。とほほ
#こんなことあるぅ !?