#160 きかん子と呼ばれて‥‥
小さな頃から母はよく私を「きかん子」と呼んだ。
何しろ、よく泣く。泣いたら意地でも泣き止まない。
私の初期の記憶というと、もしかしたら『絶対泣き止むものか』と意地になったあの感情かもしれない。
きかん子というのは、聞かない子、つまり聞き分けが悪い子という意味だ。親に反発をする、気が強い、意地悪な子もきかん子と表現される。
一方、同じ石川県でその反対語にあたるのは「かたい子」ということになる。
性格が良い、親の言うことを聞く、真面目、このような子はかたい子だと褒めそやされた。
幼少時代の刷り込みというのは人格形成に尾を引くものだ。
今さら恨みがましく言ったところで生産性のないことだが、もし私が家で「かたい子」と呼ばれて大きくなったならどうだっただろう‥‥
とてつもなくポジティブな結果が待っていたのじゃないか‥‥と思わずにいられない。
もちろん母とて、悪気はあったわけではないのだ。もっと言えば同居の舅姑の手前、自分の子をけなすことで、我が身を謙遜するような歪んだ構造があったのだ。理解できないと思うが、田舎というのはそういう不可思議なところがある。
その私が大人になった時に母が私が耳を疑うようなことを言った。
「ミズカは優しい」
母がそう思ってくれているなんてあまりにも意外だった。
たとえ百人の人が私を『優しい人』だと言ってくれたとしても、所詮はきかん子だという思いがずっとつきまとってきた。
母に、「いつもきかん子やった私が優しいわけがないやろ」と食いついた。
母は「だらやな」(バカだね)と言った。
母は、かつてイギリスを訪ねた時に、私の義父の靴紐をしゃがんで結ぶ姿を『優しい』と感じたと続けてくれた。イギリスの高齢者はしゃがむことができない人が大多数なのだが、彼は我が家が玄関で靴を脱ぐ家だとわかっていて無理して脱いで入ってきてくれたからだ。そのままでいいと言っているのに、私たちに誠意を見せてくれた義父なのだ。靴紐くらいなんぼでも結びますって‥‥
思えば東日本大震災の年はまだ日本が危険な場所だと世界中が恐れた。だから日本に居た外国人の多くが自国の家族から懇願されて日本を離れたと聞く。あの春、子どもと予定していた帰省は夫の家族から全力で止められた。
同じ日本人なのに、日本という国の惨事を対岸から眺めているような、痛みを共有していない自分が辛かった。イギリスは安全でいいですねという言葉にさえ傷ついた。私も家族や友人たちと街に立って募金活動を続けたが、世界中の日本人たちがそれぞれの街でそうしていた気持ちがよくわかった。日本と心が繋がっているつもりなのに距離が、危険から離れている事実が切なかった。
夫の仕事が休みになる夏に、居ても立ってもいられずに単独で被災された地でのボランティア活動に参加した。
被災地が欲しいのは体力がある瓦礫の中で作業してくれる人だったことだろう。仮設住宅の方々に会いに行くことは、つまりは私のわがままだったかもしれない。自己陶酔か、という人もいるかもしれない。
だが母はそういえばあの時、お友達の誰々さんたちの言葉を使って「ミズカは優しいよ」ということをたくさん言ってくれていた気がする。
あの時の自分は「きかん奴」だったはずだ。自分の意思を曲げなかったのだから。
そして、こういう人間を「やんちゃもん」という言い方もする。
「きかん子」の語源や意味を調べようとして、石川県在住のある方のブログに出会った。
その方はご自分のピアノの生徒の親御さんに「○○ちゃん、きかんですねー」と伝え、お母さんが嬉しそうに笑われたという。
「きかん」の意味は、勝気でしっかりしているという、良い意味にも使われる、とその方はおっしゃる。
そうだ、私の母は、彼女こそが「やんちゃもん」で「きかんやっちゃ」(聞き分けのない奴だ)と言われた娘だったのだ。
知り合って間もない父と、その複雑な家庭環境のせいで大反対されたにも関わらず駆け落ち同然で嫁に来たのだ。
北陸の『花嫁のれん』という風習があるが、父母の部屋の前に掛かっていたのれんはあの花嫁のれんと呼ばれるものに似ていたかもしれない。
私の父と母は、式も挙げず籍を二人で入れ、なし崩し的に家の嫁になったようだが、後に箪笥や鏡台などが、大反対した実家から送られてきたのだと聞いたことがある。花嫁のれんもそんなふうに後付け的な、それでも親心の詰まった物だったのかもしれない‥‥
「親の言うことに間違いはなかった!」と知るのに時間はかからなかったそうだが、それは後の祭り。母は「きかん奴」を今だ更新中で、62年間父と連れ添っているのだ。
あーーーー、そうだったんだあ。
もぉー、それならそうと早く言ってよー!!とここに居ない母にエアツッコミをしてしまった。
そっか、母は必ずしも「きかん子」をネガティブなことだと言っていたのじゃなかったのかもしれないのだ。
「きかんやっちゃ」と言われたことを自虐しつつも、それが「わたしがわたしであるゆえん」だと胸を張っていたのかもしれない。
泣き止まなかった娘 (私) に、自身の「きかんやっちゃ」の片鱗を見い出し、ちょっとは愉快な気持ちでいたのかもしれない‥‥
もぉーーーー、母よ、
こどもにはそれ、わからんから!