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#263 父と私② どうしてこう似たくないとこばっか似るのか‥‥



前回に続き、なんとも複雑な思いを抱える父とのはなしである。


父のことを想うと、基本愛おしいというのが今の私だ。だからといってこの父を真似たい、似たいとは一ミリも思っていない。
「なのに」なのか「だから」なのかわからないが、

私は嫌なところばかり父に似ている


父は朝起きられない人だった。自営という甘えもあってか、私の憶えている父はなかなか起きて仕事に行けなかった。
祖父母との同居なので、近所のおばば達が根を張ったように茶を飲んでいるのが常だ。中に必ず、「あれ?お父さん(父のこと)の車まだあるけどどっか具合でも悪いんかね?」と問うおばばが居た。
家の母はすでに出勤した後だが、こういう場に居たら、それらを全部チクリとやられた気分で聞いたことだろう。
あんなの風のように受け流せばいい、"Mind your own business" (ほっといたれ)やと今の図太い私なら言いたい。けれどもあの頃の母は、自分や従業員に任せて朝なかなか現れない父のことが、世間に対して恥ずかしかったのだと思う。
私は私で、なぜこんな場面を憶えているかと言えば、保育園に行かず家に居たからだ。園ではいじめっ子が幅を利かせていたのでよくサボっていた。母がたまりかねて「休む度に園に連絡せんなん。ほんなに行きたくなかったら、自分で先生に休むと言うてこい」と言うので、私は「あしたからきません」と自己申請して保育園を辞めてきたのだと聞かされている。

こんな小さな頃から私は人の言葉の意味する『含み』のようなものを察する子どもだった。母が舅姑 (私の祖父母) の顔色をうかがうことがデフォルトであった場合、そんなものを学習するのは容易いことだ。


子ども時代、国語の時間に『朝』というテーマの詩を書くよう言われた。

『爽やか』『清々しい』『一日の始まり』といった気持ちを描いた級友たちの詩のなかで私の書いた『朝』だけが異彩を放ったようだ。
先生がみんなの前で私のものを読み上げたことを憶えている。

朝なんかこなければいい
朝がだいっきらいだ‥‥


小中高は遅刻魔だった。だらしない人間だったかと言えばそうではなかったと思う。
ただ朝が苦手だったのだ。


思春期を越えたし、子育てもした。もはや若くなくなったというのに、まだ朝全然目が覚めない。
一般的には歳を取ると自然に目が覚めるというが、
私はまだいつまでも寝ていられる。


もうひとつ父にそっくりなのは、夜中に猛烈に何か食べたくなるということだ。父はあらゆるものを夜中に食べていた。
節操のない父の体重は100㎏を超えていた。

いい歳をした私は、異国に暮らしながらも夜中に「ああ、あれ食べたい、これ食べたい」と思う時、誘惑に負けてラーメンを作り出すこともあった。炊飯器を開けることもある。
ちゃんと我慢が勝つ時もあり、そんな時は「明日起きたら食べよう」と自分に言い聞かせ眠るのだ。
ところが、朝起きると食欲は完全に失せている。
歯磨きをしながら「オエ~ッ」となるくらい朝の気分は悪い。

まるで父にそっくりではないか。
大好きな人のようになりたくて真似するならわかるが、どうしてそんな嫌だった人の嫌なところと同じにやってしまうのか、ますます自分への嫌悪感がつのる。

ひと頃の私は、それは父のことを嫌っている私への『呪い』、あるいは『バチが当たってる』のかもしれないと思ったこともある。
今でもよくわからないけれど、もしかしたらそうなのだろうか‥‥

規則正しい母は絶対そんなことをしなかったし、朝は良い、ご飯が美味い、といつも嬉しそうだ。
私の夫も時計の針のように生活する人で、夜中のスナックなんて想像もできない。


父と私との課題は意外と根深いのかもしれない‥‥


教会のバージンロードを父と一緒に歩いた時の写真がある。
人生で一番きれいだったはずの日に、
横顔を撮られた父と私は
まぎれもなく父娘だとわかるくらいには似ていた。
初めて気づいた時は衝撃的だった。


ほんまに、勘弁してほしい。




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コノエミズ
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