「ミッション乱高下!」第5話
英莉が銃を渡されてから、一週間が経った。
その日、ハルカから「今日の夜に怪物が来る。12時に銃を持って校庭に来て」と言われた。毎日バッグの底に隠していた銃に、やっと出番が来た。
射撃場なんて近くにないし、正直なところ、何の訓練もしていないし自信もない。それでも私が“選ばれた”ということなのだから、何か選んだなりの理由があるのだろう。何もしないままじゃ寝ざめが悪い。とにかくやるしかない。
家でジャージに着替え、リュックサックに銃を入れる。格好は校外学習そのものだが、これから控えているのは、黒くてデカい怪物との戦闘だ。
「全ては、平和な夏休みのため──」
日常を壊されてたまるか。こちとら生徒のために身を粉にして働いているのだ。特にこの7月は、テストの採点に成績表に夏期講習の準備……、残業続きだ。
この学校にとっての──いやもう、正直、私の平和な夏休みを奪う者は何人たりとも許さない。ネイルサロンもバーベキューも温泉旅行も、誰にも奪わせない。
夜中12時前、校庭に入る。校舎に電気は1つも灯っていない。
校庭に、ハルカが立っている。夜なのにセーラー服で、背中には例の悪魔みたいなミニリュック。空を見上げている。
「お待たせ」
「もうすぐ来るよ」
ハルカの声が緊張している。空を見ている。英莉もつられて空を見てみた。少し欠けた月と薄い雲と少しの星。何の変哲もない夜空だ。
「ねえ、来るとしたら、どこから、どうやって来──」
月明かりに、鳥の群れのような黒い点が大量に映る。え、あれが?と思った次の瞬間。
その大量の黒い粒子が、校庭の地面へ突っ込んで来た。
黒い粒子が地面に接したところから形作られる、大きくて真っ黒い脚、真っ黒い胴体、真っ黒い両腕、真っ黒い頭──
ハルカが叫ぶ。
「来た!」
「こんな急に!?えっと、まず離れよう。隠れなきゃ!」
今度はスニーカーを履いている。正真正銘の全速力で走り、体育倉庫の裏へ向かう。
英莉とハルカが体育倉庫の陰から覗くと、黒い怪物は白く光る目で、二人を探している。
「あの光る目、二つあるでしょ?あれに命中させると倒せるわ」
「……なんか、ゲームみたいだね」
自分のリュックから銃を出す。この銃──リボルバーピストルの装弾数は5発。この先、弾を装填する余裕があるかは分からない。5発以内であの遠い目に2発当てるなんて、出来るのだろうか?やったことが無さ過ぎて分からない。
怪物はキョロキョロと足下を見回している。5階建ての校舎よりも背が高いとなると、米粒のような人間など、簡単に見失ってしまうのだろうか?それならありがたい。
「あいつ、見失ってる。今チャンスだよ!」
ハルカの合図の直後、英莉は体育倉庫の壁から飛び出し、とりあえず光る左目を狙って銃を撃った。初めての衝撃が手を震わせる。
弾丸は、怪物の顎の辺りに当たって跳ね返った。目以外は跳ね返すのか、なんて強靭なんだ。
怪物はこちらを見やると、英莉達の存在に気付いたらしい。ゆっくりと近づいてくる。
「さすがに一発じゃ無理か」
「でも、良い感じ!」
ちょっと嬉しい、のがなんか悔しい。
体育倉庫を離れ、校舎の裏に向かって走る。
直後、背後で轟音が鳴り、瓦礫と野球の硬式球が飛び散ってきた。振り返ると、怪物の右腕が体育倉庫をいとも簡単に潰していた。
「うぁあああ!!やっぱ破壊する感じ!?さすがにそうだよね!?」
今まで建物の破壊はしていなかった怪物だが、やはり本気になればこれくらいのパワーはあるのか。
やっとのことで校舎の裏に回り、英莉は膝に手をついて息を整える。準備運動をすればよかった。全く息の上がっていないハルカと一緒に、校舎の陰から怪物の様子を見る。また私達を見失っている。あいつ、そんなに頭良くない?
とにかく、2回目のチャンスだ。壁から上半身だけ出し、今度は少し上気味に狙ってみる。
「え、何で」
引き金がびくともしない。銃の中で何かが引っかかっているのか、先ほどのような滑らかな動きがない。
銃をじっと見ていたハルカが、真顔で口を開いた。
「あ、シリンダー……詰まってる」
「え、何?どういうこと?」
「あー、うんうん、今中見てるんだけど、これ、弾出ないわ。メンテナンスサボってたツケ、ここで来たかー」
「『中見てるんだけど』?え、銃を透視してるの?」
「うん」
「そんなのも出来るんだ。じゃなくて!」
英莉はハルカに銃を差し出す。
「取り敢えず、何とかしてよ!」
「今メンテナンス道具持ってないし、すぐには無理!」
「そこは道具とか必要なんだ!?え、じゃあ、どうすんの?」
怪物のズシン、という足音が近づいてくる。しかしハルカにはどこか、緊張感がない。
「んー……あー……えー……うーん…………ま、しょうがないか」
「しょうがないって何!?」
あろうことか、ハルカはリュックについた羽をはばたかせ、上空へ飛んで行ってしまった。
それを英莉は、呆然と見ている。
「は?……うっそ……私のこと、置いて行くの?」
英莉は空高く遠ざかっていくハルカの背中に向かって、必死に声を張り上げた。
「私ただの人間なんだけど!!超人なんでしょ!?魔法みたいなの、使えるんでしょ!?逃げるんなら私も連れてってよ!!」
ハルカは全く聞かない。どんどん上空高く飛んで行く。英莉の声が届かないほど。
怪物の目は、英莉を直視していた。逃げ出したハルカに気を取られているうちに、怪物はすぐそこまで来ていた。
武器は使えない。体力も残っていない。ハルカも頼れない今、為すすべがない。
「ああ、もう、信用するんじゃなかった……」
怪物が腕を振り上げる。
「あいつもう、絶対許さない……」
英莉は何もかもを諦め、死に備えることにした。
痛いのかな?一瞬かな?学校のみんな、ごめん──あ、『銃で目を狙ったら倒せる』とか、ダイイングメッセージを残した方が──そんな余裕、無いか──
閉じかけたまぶたの隙間に、英莉は何かを見た。
怪物の目線と同じ高さに、小さな人影がある。
あれは、リュックの小さな羽を高速で羽ばたかせるハルカだ。滞空しながら彼女は、怪物に向かって両手をかざした。
「えい」
やる気のなさそうな声音でハルカがそう言った瞬間。
怪物が跡形もなく消滅した。
淵上ハルカは空高くから降下し、滑らかに着地した。雲の切れ間から月明りが差し、平和の訪れた双原高校と、ハルカの長い黒髪を照らした。
英莉は、自分の命を救った救世主に駆け寄り、心を込めてこう言った。
「は?????」