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2024年10月15日火曜日。

誕生日。
というものが私達にはある。
この世に生きとし生けるもの全てに。
植物に誕生日なんてあるのかな、とか、思うけれど。
きっとあるのだろう。
この世に息するものには
きっと始まりの日、が、ある。

という前置きから始めて見る。
2024年10月15日火曜日。
ボクの始まりの日。
すなわち、
いわゆる、
誕生日、
というもの。
この日のことが私は好きだ。
きのこの日と呼ばれるこの日が。
きのこは地上のくらげだと。
そう、いう、こじつけ。
くらげが好きなことに意味を見いだせるように
考えて、考えて、行きあったひとつ。
建前の、前の、豆知識である。
(ちなみに建前はカワイイからという理由。)

10月15日。
きのこの日。
助け合いの日。
名も知らぬ神の誕生日。

だから。
私はこの日が好きだ。
でも、好きだからだとって
好きなわけではない。
矛盾だとしてもそうとしか言えない。
好きであっても、好きでない。
それは理想と現実のようなもので。
つまり誕生日としてはどうしても割り切ることのできない「日」なのだ。

割り切れないし耐えられない。
ひたすらに痛くなる日。
怖くて震えてしまう日。

特に。
平日、学校があるときに自分の誕生日が来るとなんとも言えなくなってしまう。
生まれた日に。
大勢の人から祝われるのは、生きていることの証明のように思えてしまって。
生まれた日を。
認識されているという事実が、世界に自分の存在が刻みつけられているかのような、
(贅沢な悩みと笑われるかもしれないけれど、
笑われたくないけれど、)
生きた証。
証明。
逃げることが許されない
錯覚、
を、覚えてしまう。

だから、誕生日というのは苦手だ。
憂鬱であり、恐怖。
それでいて良くも悪くも存在証明。

だけれど、人間というのは
矛盾を人生とイコールで繋いでしまう生物なので(私だけかもしれないね)
仮初であり偽物でありボクでしかない
くらげもどきの人間として、
誕生日のあえて数日後に、

私は、

「forget me not」

一つだけ借り物の言葉を添えて。



追記。
 2024年10月19日土曜日。
 誕生日、おめでとうボク。
 終わる前にさっさと死ねること祈ってるよ。


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