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【恋愛小説】私のために綴る物語(53)
第十章 責め絵の女(2)
約束の日、仕事を定時で切り上げると、六本木の美術館に向かった。シックなスーツを選んで、普段通りのバッグで行くことにした。
入り口はライトアップされていて、思ったよりも明るかった。落ち着かなく、入り口を行ったり来たりする人影を見て、思わず笑ってしまった。吹き出した笑い声に気がついた男が、こっちに向かって歩いてくるのが見えた。多香子も、その男に近づいていった。
「多香子、来てくれたのか」
「晴久が卑怯な手を使うから、大事な人を失うところだった。絶交されたくないから、来たの」
「夏川くんには迷惑をかけた。あとできちんと謝ってお礼をしなくては」
多香子はそう言った晴久に、抱きしめられていた。
「苦しいし、恥ずかしいから止めて。もう逃げないから」
「手を握っていてもいいか」
「わかった」
「ありがとう」
「この前、春画を見に行ったときは、こういうの興味なさそうだったのに」
「叔父が、この展覧会に協力しているんだ。それで、君を誘うしかないと思ったんだ」
「お誘いありがとうございます。時間だし、行こう」
日本画の歴史がよく分かる展示で、人数が制限された中でゆっくり見ることができて興味深かった。
そんな展示物の中に当麻寺縁起を見つけると足を止めた。
「晴久、これって、當麻寺縁起。奈良にある當麻寺の起こりと伝説について書かれたもの。中将姫の物語って言ったほうが、わかりやすいものかな」
「雪責めのお姫様の話」
「そう、そこは開かれていないみたいだけど。女性が仏門に入って、極楽浄土に行くことが難しい時代に、それを果たした人。そうだ、漢方薬のトレードマークにもなっている、女性の助けになった、奈良時代の高貴なお姫様なの」
「こうやって、二人で見ることになるとは。感慨深いな」
多香子は目を伏せながら言っていた。晴久の目を見るのが怖かった。運命と覚悟、史之の言っていた言葉が、頭の中を駆け巡っていた。
中将姫は困難に負けずに、自分の生き方を貫いたのだ。
最後の近代・現代のコーナーには、色々な進化をした日本画として「責め絵の女」も紹介されていた。じっくり見ようとした多香子を、追い立てるように晴久はちらっと見ただけで終わった。慌てて追いつくと怒りながら話しかけた。
「さっきのコーナーにあの絵があったの気がついた?」
「あの絵って」
「見てなかったの。「責め絵の女」があったのに。その程度の関心だったの。何かがっかりした」
「ごめん。気が急いていて。君以外に気持ちが動かない」
「ごまかさないで。まったく」
展示物を見終わって、出口に向かった。そこにレセプション会場があって、シャンパンを手にしている人たちがいた。多香子と晴久もシャンパンを受け取って飲んでいた。
何でこういうときに史之を思い出すのだろう。旅先で、建築物の説明をしていた、少し低い声が聞こえたような気がした。色々教えてもらったなぁ。この展示にしても、一緒に見て話をしたいと切実に思った。
美術館を出ると近くのホテルのカジュアルレストランがまだやっていて、そこで食事をすることになった。
多香子はハンバーグプレートを頼んで、晴久はステーキセットを頼んでいた。お酒はどうしようかと思ったが、晴久がウイスキーを頼んでいたので、多香子もテキーラサンライズを頼んだ。
その様子を見た晴久の目が光ったようで、多香子は少し緊張していた。
「流石一流ホテルのハンバーグは凄いね。すっごく美味しい。晴久のステーキも凄いね。そんなに食べて……」
「食べるよ。多香子に負けるわけにいかないからな」
「えっ」
「わかっているだろう。ここのホテルの部屋を取ってある」
「あの、話をしにきただけで」
「ここで、話せることじゃないだろう」
「でも」
「でも、じゃない。なんなら、多香子は来なかったって夏川くんに報告するぞ」
「卑怯者。史之は私のことを信用してくれる。チケットだって使ったし」
「一人でも入ればチケットを使うことになるな。あとはどちらを信用するかだけど」
「わかりました。ご一緒します」
その後は無言でハンバーグを食べて、カクテルを飲んだ。晴久も食べ終わると、席を立ち、多香子を促した。
ふたりで、部屋に入ると多香子はテーブルセットに座っていた。晴久はその多香子の前にオレンジジュースを置いた。自分はミネラルウォーターを手にしていた。
「さっき飲んでいたのと代り映えしないけど、我慢してくれ」
「ありがとう」
「何で逃げた。急に君がいなくなって、僕には意味がわからないままだ」
「怖くなったの。あなたに支配されて、M嬢達みたいになるのが。チョーカーを首輪だと言った晴久が」
「それで、別れたいのか。だったら、君からそう言ってほしい」
「そういえば私のこと話ししていなかったね。うちの両親は子供である私を支配したがるの。あぁしなさい、こうしなさい、こんな事もできないようじゃ駄目だ。お前は駄目なんだから、親である自分に従えって。そんな時自分の心が死ぬ気がするの。だから結婚をするのも興味がなくって」
「それで、誰かのものになりたくないか。僕は多香子のそのままが必要なんだ。君がそばにいてくれると安心できれば、もっと気楽になれるはずだ。激重で束縛しがちなこの気持ちをきちんとコントロールするよ。それは約束する」
多香子は晴久の真摯な言葉を聞いて、しっかりと目を見ることができた。怖さも薄れてきたような気がした。
史之の言葉も思い出された。君はあの人に落ちたことを認めるんだ。残念でした。落ちきっていません。
「本当にごめんなさい。史之と山口に行った時、この人ともっと旅がしたいと思った。できれば人生をかけた旅がしたい。それは晴久では違うの。だって、私達に大切な「責め絵の女」を流し見したでしょ。羅針盤のように示してくれて、色々なことを知っている人でないと。そう思った時、史之の話をもっと聞きたくなったの、これからもずっと。その為にはこれで終わりにしたい。もう終わりにします」
これでいいでしょ。晴久とはきちんと終わりにしたよ。戻れるかどうかは関係ないから。心の中の史之に話しかけていた。
「僕はこれで君を諦めなくてはいけないのか。君の身体がさびしく感じたら、思い出してくれ。それくらいの隙間はいつも空いてるから」
「ありがとうございます。でも、身体の欲望は大丈夫。前向きな気持ちがきっと支えてくれる」
「それじゃぁ、お別れだ。これからどうするのか」
「拒絶した証拠が必要だから、ここのホテルのロビーで待ってるって史之に連絡する。夜明けまでは待つつもり。晴久さん、知らなかった世界を教えてくれて、ありがとうございます。さようなら」
そう言って部屋を出た。ロビーで史之にメッセージと写真を送った。
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