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丁寧の前に
丁寧であることに憧れてきた。
今も、憧れている。
憧れている、それはつまり自分にはないものだと思っている、ということだ。
形からの丁寧、をすることはできる。
例えば誰かに何かを差し出す時そっと左手を添える、だとか。
物音を立てず静かにお箸を置く、だとか。
そういうことも、もちろん大事だと思う。
でも、行為そのものよりも前の時点、
行動にうつす前の、その人の内側において
対するものへの姿勢が細やかであったり誠実であること、
それが「丁寧」ということの本質だと思うのだ。
物を大切に思っているからこそ、丁寧に扱う。
相手に誠実に対したいと思っているからこそ、丁寧な対応をする。
丁寧の前には、対するものへの気持ちがある。
そしてそこには、湧き上がってくる自然な感謝がある。
物や、相手や、ひいては自分も大切にしているからこそ丁寧になる。
丁寧は、結果なのだ。
わたしはそれを自然にできるひとに憧れる。
自然にできなくて、所作や言葉など形から入ろうと意識してきた私は、
それを自然にできるひとには到底かなわないと思ってしまう。
少しでも近づけるように、靴を揃え、静かに食器を扱い、
こころをこめて洗濯物を畳み、相手の目を見てまっすぐに話を聞く。
大切にするから大切になる。
気にかけるから愛着が増す。
形から入ろうとも、
ひとつひとつに意識を向けて対することを続けていれば
それが自然になる日が来るかもしれない。
後付けでもいい。
丁寧なひとでありたい、と思うなら
そうあろうとすればいい。
丁寧について、ある人と話した備忘録。