『セイタカアワダチソウの頃』
錆びた鉄の感触。
金網を越えてどこかを目指したのはいつの日のことか?
雑草の青臭い香りを手の平につけて、着地した地面の感触は今も足の裏に残されたままだ。
傾いた太陽を支える空の色も、突き刺すような眩しさも、日陰を通り過ぎるひんやりとした風の匂いもみんな覚えている。
その一つ一つは物語を置き去りにした記憶のカケラとして身体を貫き、体中に突き刺さっている。
突き刺さったカケラの一つ一つは驚くほどに鮮やかできらきらと輝いていた。
その一つを取り出して太陽に翳せば、プリズムのように情景と共に質感や匂いが浮かび上がることだろう。
「わたし」と言う存在を形づくるのは美しい物語りなどではなく、断片が継ぎはぎされた不恰好な欠片の集合体だ。
すれ違う人の体にも突き刺さった断片が溢れ、乱反射するひかりが地上を照らし出す。そんな情景を思い浮かべてみる。そして、織り込まれるように場所に刻まれた記憶と混ざり合い、気配が立ち上がる。
わたしが目にしているのは、わたしと言う個体が掴み取る何かではないのだろう。
水晶体に乱反射された世界の記憶が、誰かの記憶が、無意識に向かって語りかける。
ビルの屋上から見た街は、今ではすっかり姿を変え昔の面影はもうほとんど残っていなかったし、子供の頃に夢見た未来はやって来なかったけれど、
瞬間瞬間に立ち上がる未知なるものが、今も地上に乱反射し続けているのなら、
それを美しいと思わずに何を美しいと言うのだろう。
セイタカアワダチソウが生い茂る頃に、ふとそんなことを思った。
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カメラと文章を携えて、感じたことを紡いでみようと思います。
目の前に広がる世界にカメラを向けると、ささやかだけれどはっとさせられるような光景に出会うことがあります。目の前に在りながらも普段は、見落としてしまっている小さな事柄、かすかな気配、見えているのに目に映らない何かを捉えてみたい。そして、ことば達によってそれらが、自分でも気づいていない何かを語りかけてくる。
見えなかった輪郭を浮かび上がらせるように、暗闇の中で手を伸ばすように、不確かさと共に歩んでみたいのです。
まだ見ぬ世界像を、読んでくれる方と一緒に旅してみたいと思っています。