お笑い=悪意 ?
昨年一年間、私はYouTubeでたくさんの芸人さんのチャンネルをみた。
お笑いはもともと好きではあったけど、全く詳しくなかった。都会には劇場がたくさんあり、毎日多くのお笑いライブが催され、お笑いファンの熱心な方々が楽しんでいるということを知らなかった。(単純にど田舎暮らし且つ情弱すぎるせいで)
YouTubeでネタを見られるようになって、芸人さんのことを身近に感じるようになった。毎日いろんな芸人さんのネタを見て、さながらお笑いライブに行っているかのような気持ちだった。
しかし、ずっとお笑いの動画を見てきて、私の頭のなかにふとこんな疑問が湧いてきた。
「あれ?お笑いって結局ある種の悪意じゃないか?」
ボケをこき下ろすとかはわかりやすいけど、そういうのじゃなくて、いたって普通のことを悪意をもって見るという感じ。その悪意のある見方が笑いにつながっていく。そんなふうに感じるのだ。具体的にどんな芸人さんのどんなところがとかではない。お笑い自体が。お笑い=悪意?と感じてしまった。私は昨年一年間明らかに普通のことを悪意をもって見ていた。
しかし、悪意というものは普通は良くないことだが、お笑いにとってはなくなると味気がなさすぎるものだと思う。もちろん悪意のない笑いもたくさんあるだろう。悪意は七味唐辛子のような、笑いの薬味?スパイス?になると感じている。もしくは基礎的な部分にうすーく広がっているかもしれない。だから、私的にはお笑いには多少悪意が必要だと思う。
楽しく笑うことはいいことだ。でも、少しの悪意にさえ気づいて嫌になるようなメンタルの時には、お笑いもいったんお休みしたほうがいいかもしれない。悪意はあるがそれが嫌でなく笑えるようなそんなお笑いがいいし、メンタルが調子がいいときに見たほうがいい。
悪意という表現が相応しくないと感じる方もおられると思いますが、私の感じたままに書かせていただきました。
お笑いをこれからも楽しく見ていきたいものです。