楽曲制作における妖怪批評の可能性 - “妖怪は論理的じゃないから撲滅すべき”か?
東京を中心に活動するバンド“水いらず”が、昨年配信リリースしたシングルで、“内臓の身体性”をテーマに掲げ制作した「su-mu」(2022年10月12日には曽我部恵一によるリミックスも収録した7インチ・シングルも販売開始)から約1年ぶりとなる新曲、「bakeru」を10月22日にリリースした。
以下は“妖怪”や“インセル”などをテーマに、丸一年かけてじっくり制作された同曲についての井上真(水いらずvocal&guitar)による解説。
聞き手は「su-mu」、「bakeru」でベーシストを務め、雑誌編集者でもある辻󠄀本本秀太郎。
荒俣宏やホー・ツーニェンといった妖怪研究/批評にまつわる話題に始まり、奥の細道、映画『ジョーカー』、インドネシアの伝統舞踊“ケチャ”、微分音、ボーカロイド、ハイパーポップ、リミナル・スペース、安倍晋三銃撃事件など、さまざまなキーワードが飛び交う、ちょっと難解で濃密なインタビューをお楽しみいただきたい。
“現代の妖怪バスターみたいな人が
妖怪をぶっぱなしまくるみたいなストーリー”
●そもそも、この曲の最初のアイディアはいつ頃生まれたんですか?
井上:「su-mu」がミックスまで完成したのが2021年の夏で、それが終わってから考え始めました。ちょうどその時期、僕は前の仕事を辞めたあとだったので、ひとりで休みながら長野にある祖父の別荘でしばらく過ごしていて。最初のアイディアはそこで考えた感じです。
●今回、“化ける”というタイトルにもある通り、“妖怪”がひとつのテーマになっていますが、これはどこから出てきたのでしょう?
井上:別荘にいた頃に、長野の小布施にある葛飾北斎の絵が飾っている美術館(編注:信州小布施 北斎館)に行ったんですけど、そこで北斎が描いた妖怪の絵を観たのが最初のきっかけですかね。そのあと、帰りに寄った本屋でたまたま荒俣宏という人が書いた妖怪についての書籍を読んだんですけど、そこに“化ける”についての話があって。それがすごくおもしろくて、“妖怪”や“化ける”というテーマを、この時期に自分が考えていたことと掛け合わせて新曲のコンセプトにできるなと思ったんです。
●“この時期に考えていたこと”とは?
井上:この時期にとある知人のライヴを観に行ったんですけど、そこに出ていたアーティストがすごくキャラの立っている人で、それを目の前にしたときに“キャラクター化”みたいなことについて考えるようになったんです。僕自身、昔からけっこう人をキャラクターとして分類して見ちゃうところがあるんですよね。あとSNSでもリアルでも、文化人とかミュージシャンとか、友達とかでもいいんですけど、何かを演じていたり化けている感じの人を見ると違和感を感じることが多い(笑)。そういう話と、“化けること”や“妖怪が人々にどのように受容されてきたか”みたいなことには重なる部分があるんじゃないかなと思うようになったんです。
●Aメロの歌詞に“インセル”という言葉も出てきますが、これも「bakeru」を語るうえで重要ですよね。“インセル”と“化ける”はどうつながるのでしょう?
井上: 今話したような、“人がキャラぶること”に対する嫌悪感や違和感みたいなものって僕のなかには根強くあって、そういうのはこの世から全部なくしたほうがいいんじゃないかと思っている部分があるんです(笑)。『タクシードライバー』(1976年)とか『ジョーカー』(2019年)とか、インセルを題材にした映画とかっていろいろあるけど、正直、僕はそういうのを観て主人公にけっこう共感してしまう部分もある。それで自分のこういう感情って、意外とインセル的なものに通じる部分があるんじゃない? と思ったのがひとつですね。
● “キャラクター化してしまう人々“を殲滅したいと思ってしまう井上さんの感情が、“銃をぶっ放してしまいたい”みたいなインセル的感情に通じる部分があるんじゃないか、と思ったのが発端だったと。
井上:そうですね。あとは妖怪の歴史みたいなものにもインセルが絡められるところがあって。妖怪って、江戸時代に鳥山石燕っていう人がイラストとして描くようになり大量生産が可能になったことで、初めて庶民の間でイメージが固まったと言われているんですけど、一方で明治に入ると、西洋化のなかで妖怪を撲滅する動きが出てくる。それを中心になってやったのがAメロの歌詞にも出てくる、東洋大学を作った井上円了という人なんです。“妖怪って論理的じゃないから撲滅するべきじゃね?”みたいな感じで、彼は今で言うひろゆきみたいな感じでどんどん論破していったみたいで(笑)。つまり、 “キャラクターとかって微妙じゃない?”っていう感情=(イコール)インセル的な考えを、井上円了に重ねるような構図の曲にできたらおもしろいんじゃないかなと思ったんですよね。インセル的な“現代の円了”が “現代の魍魎(もうりょう)”、つまり現代の妖怪=キャラクター化した人間を殲滅しようとしていると。Aメロ(※歌詞:「ほんじゃぶっ放して〜」)もBメロ(※歌詞:「鬼の居ぬ間に〜」)も基本的にはインセル側の歌詞を歌っている。軽いSFみたいな話になっていて、現代の妖怪バスターみたいな人が妖怪をぶっぱなしまくるみたいなストーリーをイメージしてもらえればと思います(笑)。
●Aメロの歌詞で言うと、“細道”というワードも印象的です。このあたりの歌詞ができたとき、メンバーで“リミナル・スペース”の話もしていましたよね。どういう関連があるんでしたっけ? 少し前から、欧米を中心にネット上で流行っていた概念ですよね。
井上:『奥の細道』のオマージュみたいな歌詞のところですね。さっきの“妖怪がどう受容されてきたか”の話にもつながるんだけど、江戸時代以降、妖怪が“怖くないもの”になっていく過程には“キャラとして消費されるようになったこと”があって、さらにその一因には“奥の喪失”みたいなものがあるんじゃないかっていうことを妖怪研究で有名な小松和彦っていう人が書いてるんです。要するに、神社とかって今でも暗闇が残っていて怖いじゃないですか? あれは“奥の怖さ”なんじゃないかって。現代において、“奥”の場所が少し残っている場所ってあるけども、それがリミナル・スペース的な感覚に近いんじゃないかみたいな話をしてましたね。メンバーの桜井(晴紀/水いらず keyboards)くんは、それが奥の細道の“わびさび”が感覚に近いんかないかと言っていました。Aメロの歌のハメ方とか歌詞は、もとのアイディアは自分だけど、けっこう歌詞の部分も桜井くんが考えてくれたところがあります。
●音楽的な話も聞いていきましょう。今回も前作に続き、微分音(※ドとド♯の間の音など、西洋音楽で使用される“ドレミファソラシド”や“♯”“♭”では表現できない音という意味)の使い方が肝になっていますよね。
井上:「su-mu」でやったような“微分音”を使った音階的な試行を、今回もう少し振り切るような形でやってみたいというのがありました。「bakeru」のイントロと間奏部分は、すべての楽器のチューニングが微分音にしてるんですよ。「su-mu」では、ギターとコーラスだけで微分音を使ってるんですけど、今回は鳴っている楽器すべての音を微分音にするって言うのをやってみたかった。
●この曲での微分音のチューニングは、どういう風に考えたんですか?
井上:基本的に試行錯誤ではあるんですけど、今回は沖縄の音階とか都節音階とか、日本的な音階を参考にしながらそれを全部微分音に変えてみて、響きを確認してっていうのを繰り返しながら作った感じですかね。微分音にすることで和音にどこか温かみや懐かしさが出る感じがあって、その変化は不思議だなって思っています。ただ、アレンジとかはすごく大変でしたよね?(笑) 微分音にすることで、前例とかリファレンスとかが全然見つからなくなるので……。
●リズム的な話では、今回イントロと間奏でケチャ(※インドネシアの伝統舞踊)的なリズムを取り入れましたね。しかもケチャは普通、声でリズムを構成しますが、今回はそれを楽器に置き換えるという試みをやっています。
井上:そうですね。普通に声でリズムを入れるのは、YMOとか、ほかにやっている人が結構いるのでおもしろみがないと思ったんです。僕らは人の声の代わりに打楽器でリズム・パターンを4つくらい作って、それを全部重ねて聴くと16ビートのリズムとして聴こえる、みたいなことをやっています。あとは、それをやりつつ盆踊り的なノリも入れようともしていて。だから、日本的でありながらもう少し広いアジア的な感じが出せてるんじゃないかと。西洋的なオモテ/ウラで強弱をつけるような感じじゃなくて、等価な感じというか、平たい感じと言いますか。ここのアレンジも最初全然わかんなかったんですけど、僕はアイディア出しだけをして、あとは桜井くんと小宮山(節己/水いらず drums)がほとんど全部考えてくれましたね。
●“平たい感じ”と言えば、今回はボーカロイドも使っていますが(※例えばイントロ&間奏では、“化かしたな、化かされた”と歌っている)、なぜ導入しようと思ったんですか?
井上:ちょうどこの曲を作っていた時期に、いよわっていう人とか、ボカロのアーティストをけっこう聴いていたんです。それもあって、この曲のテーマである“キャラクター化”を表わすのにボーカロイドは適してるんじゃないかなと思って。だからボカロも、最近あるような人間の声に近い音を出せるものじゃなくて、あえて原初的なものを使っています。あとヴォーカルまわりのアレンジで言うと、キャラクター的な平たい感じやフラットな感じを出すのに、ハイパーポップの要素を参考にして、具体的には声の一部は中音域を上げて歪ませてオートチューンをめっちゃかけるみたいなエフェクトを使ったりしていますね。
●“平たい感じ”と言えば、Aメロには“超フラット”と歌詞にも出てきますけど、“キャラクター”と“フラット”というワードはどう結びつきますか? 村上隆の“スーパーフラット”も彷彿させます。
井上:キャラクターって基本的には、“そういう風にしか見えない”じゃないですか。奥行きがないし、一貫して“いない”行動を取ることができないというか。そういうことをやっていたスーパーフラットは実際参考にした部分はありますね。でもやっぱり、人間的な深さとか物事の深さって、矛盾や偶然性にあるんじゃないかとは思っていて……この話も、あとで話す「bakeru」の最終的な結論の話につながってくるんですけどね。
“物事をちゃんと見るのは大事”
っていうところに仮の結論として落ち着いた。
●さて楽曲の後半には、いろいろな人の声が流れますが、あれはメンバーの知人にインタビューしたものをサンプリングしたものですね。「bakeru」にはなぜこのパートが必要だったのでしょう?
井上:この曲は3つのレイヤーで構成されているんです。Aメロ〜Bメロ〜間奏までが一層目、カセットが鳴って始まるインタビュー・パートが二層目、最後にまたカセットの音がして、そこから三層目=アウトロが始まるという構成。一層目はインセル側からの視点が描かれているんですけど、それに対して二層目では、化ける側、つまりキャラクター化してしまう側の弁解というか意見を入れたかったんです。だからそこは生の声として表現したいなと思い、実際に知人にインタビューした感じですね。
●インタビューを通して、何を思いましたか?
井上:やっぱり、意外とみんな“化ける”ことに対して否定的に思っていない、というところですかね。女装をした経験にすごく救われたみたいな体験を語ってくれた人がいたり。多くの人が、コミュニケーションが取りやすくなった、みたいな“化ける”ことの効用について肯定的に語っていたのも印象的でした。
● “化ける”ことへの違和感がこの曲の出発点になっている曲ですが、実際にはポジティブな面のほうがむしろ語られていたと。
井上:まぁ、当たり前のことかもしれないんですけどね。でも僕としては、インタビューを通していろんな人がいろんなことを考えている、というのに触れるなかで、結局は人が他人を見るときに“キャラクターとして固定化して見てしまう”こと自体もけっこう大きな問題なのでは? と考えるようになったんです。ものすごく一般的な意見になっちゃうんですけど、“物事をちゃんと見るのは大事”っていうところに仮の結論として落ち着いた。そして、それが第三層目のテーマになっている感じですね。
●三層目では“(イメージを)捕まえる”という歌詞もありますね。物事をちゃんと見るためには、どうするべきだと考えたのですか?
井上:三層目は、“イメージ”と“実際の事物”の衝突点みたいなものをしっかり捕らえようみたいな内容なんですけど、それこそがキャラクター化している世の中に対しての見方とか、自分自身をキャラクターとして捉えてしまうこと、ひいては世の中をぶっぱなさないための処方箋になるんじゃないかと思ったんです。インセル関連で調べていたところで言うと日本だと秋葉原通り魔事件がありますけど、犯人の加藤智大は警察官をひとりも殺さなかったみたいで。で、その理由というのがもし彼の言葉が本当だとすると、“幼い頃に警察官に世話になった覚えがあったために殺せなかった”というものらしいんですよ。つまり逆に言うと、殺した人たちのことは“人として”とか“なにか”としてちゃんと見ていなかったんじゃないかと。すごく凡庸な意見ですけど、それはもしかしたら“ちゃんと見る”ことによって違う結果になっていたんじゃないかなと思ったんです。
●なるほど。“イメージと事物の衝突点を捕える”について、もう少し説明してもらえますか?
井上:イメージと実態の両方を見つめ、固定しやすいイメージを偶然性に満ちた現実で更新する、ということですね。“僕は僕である”とか“これはコップである”みたいにイメージって一度認識したら固まりがちなものだけど、実態については、例えば人間だってコップだって日々身長が伸びたりガラスが少しずつ欠けていったりと常に変わるものじゃないですか? だからできるだけその実態と近いところでイメージを捕え、実態と合わさるような点を探っていく必要があるんじゃないかと。自分自身の認識についても、事物に関しても、常にそれを更新していく必要があるということですね。こういう、固定しがちなものをを偶然性の溢れたものによって更新していくことの大事さみいなことが作曲過程でわかってきたので、それを仮の結論として出した感じです。
● 奇しくも「bakeru」制作の終盤の7月には、安倍晋三銃撃事件もありましたが、これについてはどう感じましたか?
井上:あの事件が起きたときには、今言っていたような“物事の見方”みたいなことに自覚的になっていたので、こういうことに対しての処方箋をある程度持っていたのかなとは思います。それまでの自分だったら、インセルの確固たる像が自分のなかにあって、それに事件をどんどん寄せちゃっていたんじゃないかと。曲を作る過程で、秋葉原事件の加藤智大の件を調べているうちに、インセルっていうと“自身の不遇な体験から、社会に対して恨みを抱え、それに対する復讐”するみたいなイメージですけど、彼の場合はネットの掲示板で書かれたことにイヤな思いをして、それを書き込んだ人たちを後悔させるために事件を起こしたらしいということを知ったんですね。つまり、あの事件は“社会への復讐”というようなものではなくて、自らの目的を果たすためのかなり具体的な手段だった。でも我々というのは、そういう事件を見たときにインセル的なものとしてイメージを固めて勝手に共感して崇拝してしたりもしてしまう。『ジョーカー』もそういうことを描いた映画だったと思いますしね。安倍氏の件に関しては曲はほとんどできたあとだったので、この事件が曲に影響を与えたかって言われると、そうでもないのかなって感じですかね。
●さて、今回の制作では去年の11月にメンバーみんなで愛知県の豊田美術館に行って、ホー・ツーニェンの“百鬼夜行展”を観たり、けっこうリサーチもしっかりやりましたよね。井上さん個人としては、あそこでは何を感じました?
井上:いろいろありますけど、表現において妖怪というものを使うといろんな社会批評とか評論ができるっていうことはひとつの発見でしたね。妖怪に例えていろんなものがこれまでにも描かれてきたし、アーティストだけじゃなくて人々も妖怪を通していろんな欲望を感じてきたりしたんだと。
●2022年11月23日には「bakeru」のリリース記念イベントも行われますが、音楽ZINE『痙攣』編集長の李氏さんとの音楽批評をテーマにしたトークショーもあるということで。“批評”については、どのように捉えていますか?
井上:単純に僕はけっこう最近になってそういうものを本格的に読むようになったんですけど、物事の見方としてすごくおもしろいと思うことが多いんですよね。それこそ、別の可能性みたいなものをつなげられるし、全然関係ない物事をつなげて歴史を作ることもできる。人間っていろんなこと忘れるじゃないですか? でもそうやってひとつひとつのことをつなげて物語として語ることで覚えてくし、語り継がれていく。自分としても、何か世の中に残るものを作りたいというのがありますけど、それって結局人の記憶に残るとか、心に残るとか、そういうことじゃないですか? そのためには批評みたいなものも一要素として必要なんじゃないかと思っています。今回のリサーチだと、荒俣宏の本は、やっぱりすごく刺激を受けましたね。
●最初の話に戻ってしまいますが、荒俣宏は“化ける”ことについてどんなことを書いていたんですか?
井上:昔の哺乳類って恐竜とかの外敵から身を守るために基本的には暗闇に隠れていたらしく、その頃は白黒しか見えなかったらしいんですよ。でも恐竜が消えて外敵がいなくなり昼の世界に出て木の実とかを取るようになってからは色が見えるようになったが、でも逆に目が見えようになったことで、見えなくなる/感じられなくなるものが出てきたんだと。そして、そういう目に見えない強大なものを感じるための行為として、“化ける”の原点があったんじゃないかって彼は言ってるんですよ。例えば、今だって一部の動物にはあることだけど、古代の人間は嵐が来る前兆とかを察知できたんじゃないかと。でも目が見えるようになるにつれて、そういうものが感じられなくなり、その代わりとして“嵐の妖怪”とかを作ったんじゃないかって話。そして、その延長線上に“仮面をつける”みたいなことがあるんだと。この話と、自分が人に対して感じる“キャラクターになろうとしている”、そして“そのキャラクターを通して何か強大なものになろうとしている”っていう感覚は、どこかつながるんじゃないかと思ったんですね。柳田國男の『遠野物語』(岩手県遠野地方に伝わる逸話や伝承などを集めた説話集)とかを読んでいてもそうだけど、やっぱり人間の想像力って日々乏しくなってるなっていうのは思います。あれって柳田國男がすごいフィールド数のフィールドワークをしていろんな人の話を聞くわけだけど、やっぱりそこの人々は本当にそういう強大なものの存在とかを信じている。でも軟弱な僕ら現代人は“それは論理的に正しくない”みたいなことで、そういうものを感じることができなくなったんだなっていうのは感じますよね。
●おもしろいですね。さて、最後にバンドとしての次回予告ができればと思うのですが、次曲の構想を少し語ってもらえますか?
井上:ふたつあって、ひとつは1曲まるまる擬態語で作ろうかなっていうもの。擬態語ってやっぱり日本語の特徴が出やすいんですよね。音がない状態のことを“シーン”って表わしたり、日本語って特に擬態語のバリエーションが豊富だって言われていて、それがおもしろいなって思ってます。ふたつ目は、前のインタビューでも話した“追分様式”っていう、BPMがよくわからないことになっている音楽があるんですけど、それを極めたいですね。手法は今考え中って感じです。
(2022年9月2日、東京・白山の“JAZZ喫茶映画館”にて)
Profile●水いらず
2016年結成、東京を拠点とするオルタナティブ・ロック・バンド。2020年には1stフル・アルバム『ほとんど、空』をリリースし、巽啓伍(never young beach)、東郷清丸、天川悠雅(ギリシャラブ)、飯島はるか(に角すい)が賛辞を送り、多方面から評価を得た。2021年10月に“内蔵の身体性”をテーマにしたシングル「su-mu」をリリース。2022年2月にはゲストにあだち麗三郎とPot-pourriを迎えた同曲のリリース・イベントをプラネタリウムをライヴ会場にて実施した。2022年10月には曽我部恵一によるリミックスを収録した「su-mu」の7インチ・シングルをリリース、10月22日には約1年ぶりとなる新曲「bakeru」の配信を開始した。
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