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私が知る世界は広いのか、閉塞しているのか。『八月の母』を読んで
大きな、そして歴史にも残る衝撃的な事件が起こり、報道で伝わってくる犯人の話を眺めていて『八月の母』を読んだ時の気持ちを記録しておきたくなりました。家族や地域という閉塞された空間からどうやったら逃げ出せるのか、その連鎖は断ち切れるのか。様々な思いが渦巻きます。
この本は、信頼する読み手の友人たちが発売前から手にとり、読んでおり口々に絶賛と衝撃を語っていた本です。
明るい話でないことも、大きな衝撃を受ける話であることも知ってはいたのですが、内容情報詳細など一切なんの情報も入れずに本を読み始め、2時間もかからず一気読みしました。
ここまで手がとまらなかったのは久しぶりかもしれません。どうしようもなく気持ち悪いのに。
読み終わってから、この本のモデルになった事件の事を知りました。
いや、たぶん当時はセンセーショナルに報じられて目にはしていたのだろうけれど、本を読んで上書きをされたことで事件は記憶に焼き付きました。
とはいえ、まだ2014年の発生という生々しい事件を、フィクションとして焼き付けたことにはいろいろ思う人もいるのだろうなとも思います。
モデルがあると言えどもあくまで小説の形をとっており、それが母性の鎖のようなものを描いているのであれば、並行して本当に何があったのかが書かれているノンフィクションが読みたいと思いました。いや、もしかしたら現実はもっと気持ち悪いのだろうけど。
小説の中で繰り広げられるやりとりは恐ろしく閉鎖的な社会の話です。そして恐ろしいことにそれが物語が進むにつれてどんどん狭くなっていきます。地域から、学校へ、団地へ、そして団地の一室へ…身近な閉鎖空間が全ての世界になってしまっているという事なのか、いわゆる「セカイ系」を読んだ時のような感覚を持ちました。(実際の事件ではいぶかった近所の人によって散々通報されていたと記事で読み、救いの手はなかったわけではないのかもしれませんが…)
歪んだ母性と地方の田舎独特の鎖にがんじがらめにされた閉塞感がとにかく怖くて、ホラー小説を読み終わった時のような気持ちである一方、その閉塞を打ち破ったという微かな希望が描かれていることでその未来を信じたくなります。
家族が崩壊し、誰の助けもないまま恨みを募らせていくという閉鎖的な狭い社会と、起きている事件がほぼリアルタイムに拡散されていく世界。その両面を見ながら色々な事を考えさせられています。