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崇高なまでのくだらなさに巨匠の仕事を見た『カーテンコール』
出版不況だ出版不況だと言っているうちに、本を出すこと、売ることが一世一代の大イベントみたいになってきてしまいました。
こうなると、書く方も売り出す方も無駄なまでに肩に力が入ってしまう。そんな書き手側の裏側の悲壮感が見えると、読む方も力が入ってしまう。。。
『カーテンコール』を読んでまず感じたのが、「あぁ、これよこれ、この力の抜け方よ」という脱力感でした。
なんて書いたら当事者に怒られそうだけど、小説とか物語ってこれくらいいい加減さを醸し出していてもいいんだよ。と思ったし、もし筒井先生が狂気迫る必死さで本を書いていたとしても、読者には全くその「必死さ」を感じさせない本でした。ある意味崇高なくだらなさが最高です。
私たち、もしかしてエンタメやってるわりには眉間にしわを寄せすぎなんじゃないか。とちょっと違った軸の反省をしてしまいました。
その崇高なくだらなさの一方で、筒井節は各所にキラッと炸裂しており、コロナ禍への皮肉やあれやこれや、社会風刺も堪能できます。そういう意味でも、まさに「巨匠の仕事」
私は筒井作品の熱心な読者と言える方ではないのですが、それでも「プレイバック」で出てくる、筒井文学の主人公たちには胸がアツくなりました。唯野教授、懐かしかったなあ。
小松左京を出してきて言わせた “おれの『日本沈没』の、たった三十枚のパロディで儲けやがって” とか、最高です。電車の中で吹きました。
そんな笑いの中にも、仲間であった作家たちの早逝を見送ってきた寂しさをも感じさせます。まさに、読み終わった後にも世界が広がる掌編小説の鏡のような作品集でした。