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【映画レビュー】『君たちはどう生きるか』:見たまま受け取るべき作品なのでは

 内容についての詳細が伏せられていたので、どんな映画かわからないまま観に行った。ほかの作品でそんなことをすることはまずないが、宮崎駿の最後の作品かもしれないと言われていたので、観ておかなくてはと思った。
 しかし、実際に観てみて、どういう作品なのかを説明するのは難しいと感じた。だから、内容を伏せていたわけではないと思うが……
 説明するのは難しいけれども、自分の中で整理して何かを語っておかなくてはいけない作品であるとも思った。というわけで、自己満足的な動機なのだが、この作品のことを語ろうと思う。 


やりたいことを思う存分やりつくしたのでは

 この映画をひと言で言うと、「中身」ではなく「外見」、「何が言いたいか」ではなく「何を見せたいか」という作品ではないかと思った。
 私は宮崎ファンではなく、作品も1度ずつ見ただけで、詳細も覚えてはいないのだが、宮崎監督がこれまで培ってきた、アニメ表現、キャラ造形といったものを思う存分、好きなように詰め込んだ映画であるように受け止めた。
 やれなかったことを、悔いがないように、やりつくした感じだ。
 だから、映画の中身を言葉で語るのが難しいのかもしれない。
 それでも何か語らなくてはいけないと思わせるのも、宮崎監督の集大成的な作品であるからだと思う。

図らずも自分をさらけ出しているように思える

 造形面について、そう感じたのだが、詳しくないので、お恥ずかしながら多くは語れない。
 一方、それほど重視されていないように思えた中身について、少し書いてみようと思う。
 主人公の少年は無口である。黙っている間に、空想世界で闘い、さまざまな葛藤を経て、成長していくというのは、これまでの作品にもあった物語構造である。
 主人公の少年は宮崎監督自身を反映した自伝的作品であるともいわれている。そうだとすると、図らずも、かなり自分をさらけ出しているようで、興味深い。
 戦争で儲ける父に対しては表面上は従順に服従し、一見すると、尊敬の念すら持っているように思える。しかし、どこか冷めた目で見ているのではないか。本当は、軽蔑すら含んでいるくらいに思える。
 一方、母への愛は絶大である。そして、母を裏切ることはできないからら、後妻に対して、一見冷たく接しているようである。しかし、実は、そのする冷たさの裏に、後妻に対しても本当はものすごく惹かれていて、甘えたいと思っているのではないか。
 中身がわからないといっても、そういうメッセージは伝わってくる。
 宮崎監督に、そんな意図はないのかもしれないが、自身の父親観・母親観、いや、男性観・女性観が図らずも露わになっているように思う。
 ここは掘り下げれば、いろんなことが語れそうだ。ただ、どう解釈しても、無意識である以上、正解はないであろう。

なぜアオサギなのだろうか

 それにしても、なぜアオサギなのだろうか。今回は鳥のキャラクターが満載だった。その中でも、キーマンがアオサギだったのは興味深い。
 今、アオサギは天敵がいなくて増えているという。私の近所の川にもたくさんいて、体が大きいからか、ひときわ目を引く。
 そんなアオサギに、どんな思いがこめられていたのだろうか。これまた、どんなふうにでも解釈はできるが、どう解釈しても違っている気がする。
 もしかすると、アオサギも外見の優雅さ、派手さを利用しただけで、何も意味はないのかもしれない。

そしてタイトルも……

 タイトルの「君たちはどう生きるか」は、2017年にマンガ版が大ヒットした、1937年刊行の青少年向けベストセラー小説(人生論)のタイトルである。映画の中では、主人公が母親からもらった本として登場する。しかし、映画の中身と直接結びつく感じではないし、別のタイトルであったとしても問題ない。いや、普通なら、別のタイトルであるべきかもしれない。
 そうか。タイトルまでも「外見」を借りているのか! 意味はないのか!
 やはり、この作品は、ただ見たままを受け取るべき映画なのかもしれない。


 日本語の予告編がありませんでしたので、英語版の予告編のリンクを下に貼りました。言葉がわからなくても、いや、むしろ言葉がわからないほうが、この作品の本質と触れられるかもしれません。

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