遺言ではないけれど
このnoteには暗いことや泣き言は書かないことに決めたのですが、自分の死について書くことにしました。これは決して後ろ向きな気持ちではなく、前を向くために必要なものだと思いました。
生きる意味
正直なところ、生きる意味を見いだせないまま、ずるずると生き延びています。ようやく最近、「このまま終わってたまるか」という気持ちが少し湧いてきて、それをスローガンに頑張ろうと思い始めています。
老いていく
ただ、しみじみ実感しているのは、年を取ると思うように体が動かなくなり、いろんなところが痛くなったり苦しくなったりすることです。こうして、どこかで限界を超えて、生き物は死ぬのだろうと思います。死は、生物の宿命なので避けられません。
じゃあ、どんなふうに死ぬのがいいのだろうと、ときどき考えます。
酔っぱらい
私は近頃、酔っ払うと、時々記憶がなくなります。知らないうちに、家に帰って、風呂に入って、布団にもぐって寝ています。全く覚えていないのですが、たぶん、ふらふらしながら道路を歩いているんだろうと思います。酔っぱらいです。いつ、足を踏み外して転げ落ちたり、車にひかれたりしても誰にも文句は言えません。
幸せな死に方
「これだ!」と思いました。どうせなら、親しい人と楽しくお酒を飲んで酔っ払って、愉快なまま記憶もなそのまま死んで消えていくのが、一番幸せな死に方ではないかと思ったのです。
病気で死ぬのは辛いし、自分で死を選ぶ勇気もないし、どんどん衰えていって何もできなくなってしまうのもつらいし…
楽しい時間と親しい人の余韻の中で死んでいく……これが一番幸せな死に方ではないかと思うようになりました。
だから生きる
その死に方で唯一の懸念は、まったく死を予感することなく死んでしまうことです。死ぬということを意識しないまま死んでしまうのです。だからよいのですが、だから恐ろしいとも言えます。
そのマイナスを埋めるには、いつ死んでもいいように、日々を大切に生きることしかないと思いました。いつその時が来てもいいように、今できる限りの力を尽くす。自分自身が、自分は精一杯全力を出し尽くしていると、いつでも思えるようにする。
これしかないです。そして、それはもしかすると、今を一生懸命生きる原動力になるかもしれません。だから後ろ向きではないと思うのです。
一緒にお酒を飲む人
あと、もう一つは、信頼して楽しくお酒が飲める人が、数人でもいなくてはいけません。これは相手がいることなので、自分の思いだけではどうしようもないのですが、そういう人がいてほしいです。そういう人とつながっていられるように努力しなければなりません。
これも、世捨て人になってしまうことを防ぐには、よい縛りなのかもしれないなと思いました。
もし自分が死んだ後に、誰かがこのnoteの記事を見つけて、「そういうことか。じゃあ何の後悔もないのだな」と思ってくれればいいなと、とりあえず、今の自分の死に対する考えを書き残すことにしました。