私は感化されやすい。だから。
ちょっといいものを見ると、すぐに真似したくなる。
ちょっと悪い話を見ると、そうなのかも、と信じてしまう。
そう気付いたキッカケはこのツイートだった。
この記事を読んでみて、自分の中にあるバイアスにひとつ気付いたのだ。
私は喘息持ちである。きっと新型コロナウイルスに感染したら間違いなく肺炎で死亡するだろうと確信している。だからこそ日頃の感染対策は気を付けているし、消毒液を持ち歩いたりするなど注意を払っている。それでもきっと罹る時は罹ってしまうだろう。それを未然に防げるかもしれないのが「ワクチン」と言う存在だ。
ワクチンの話が上がった時、「やっとか」と思ったのと併せ「副作用が重かったらどうしよう」と言う不安を感じた。きっと多くの人が感じたものと同じだろうと思う。この記事を読んでみて、ふと気が付いた。インフルエンザのワクチンは接種するのに、新型コロナウイルスのワクチンを怖がる理由って何なんだろう、と。
インフルエンザだってなんだかんだ言って毎年手を変え品を変え…じゃないが、型が変異していたりする。一昨年末辺りに流行したインフルエンザは、通常高熱が出やすいA型に感染していても微熱症状で気付きにくいと言う何とも狡賢い変異をしていた(ウイルス相手に狡賢いも無いけど)。その結果、気付かないうちに感染を広めてしまい学級閉鎖や職場の一角だけごっそり不在(病休)と言う事態が頻発したのだ。
しかしこのインフルエンザの変異にも対応したワクチンは毎年開発されている。それを何ら恐怖を感じることもなく、当然の様に摂取するのだ。…じゃぁ、感染細菌が違うってことを理由に、接種を恐れる理由って本当にあるんだろうか。
実際、諸外国では摂取が始まっており、大凡の副作用はインフルエンザのワクチンと大差ないのだそうだ。じゃぁ受けても変わんないじゃん。そこまで重篤な副作用を考慮する必要って無いんじゃないか。それが、私がこの記事を読んだ感想だった。
「『新しい』と言うだけで『重篤な副作用が発生するかもしれない』と思い込む」バイアスが私の中にもあった。別に反ワクチン派では一切無いし、受けられるなら受けておくべきだとは思っていた。それなのに、頭の片隅では僅かな恐怖を感じていた。言うなれば、「多くの人柱の上で問題ないと分かってから受けた方が我が身は安全なのではないか」と、エゴにエゴを重ねたようなことを思っていたのだ。
普段あまりテレビを見ない私でさえ、「ワクチン接種による副作用は怖いもの」と思い込んでいた。マスメディアはやたらと不安を煽るばかりだ。皆が接種できて、感染者を減らせた方が大円団なのに、それをしようとしない。副作用なんかよりも、抗体を作ることの方が圧倒的に大切なのに。副作用の重篤性を怖がってワクチンを拒むより、抗体を作って感染しづらい身体を作っていく方がずっとずっと大切なんだ。
良くも悪くも「私は私」をもう少し貫くべきだな、と思った。だって、不必要な不安に煽られて大切なことを見逃したら勿体ない。その不安要素は万人に該当するものじゃない。私は色んなものに感化されやすいからこそ、もっと「大切なこと」を見極める力をつける必要があるんだ、と改めて思った。
「敵はその目で見極めなさい」
「目に見えないものを真実だと思ってはいけない」
事あるごとに自分に言い聞かせていた言葉が、今日ばかりは少し胸に刺さる。