「ごめんなさい」が言えること
執事の館・準備委員会から提供されるサービスのひとつに伝書鳩ならぬ電書鳩…つまりメールマガジンがある。そもそも「執事の館って何だよ」って思われたかもしれない。そんな貴方は下記リンク先をご参照ください。私が中途半端な説明をするより百聞は一見に如かずと言うし。
今回は、そんな執事の館・準備委員会の松原さん(名古屋市中区松原…から名前を取っているそうな)から定期的に送られてくるメールマガジンの内容について話そうかと思う。松原さんからメールの引用抜粋の許可を頂いたので、メール文面を掲載しつつお話したいと思う。
(冒頭抜粋)
お嬢様、旦那様、このところ余裕を無くされて、誰かに思ってもいないことをお伝えになりませんでしたか?
お仕事やご学業、家事などに追われているとき、いつものように優しく丁寧に振る舞われることができず、「自分ではない自分」が出てきてしまうのは致し方のないことと存じます。それもまた自分でございます。
彼の述べる言葉はいつも冒頭から引き込んでくる。時々「そんなことないもん」という時もあるのだが、大凡当たっているし、たまに「うっ…どこで見ているのだ…」ってなるのである。そしてそんなことを同じように感じるお嬢様・旦那様がTwitterのタイムラインに溢れかえるのはもはや毎日の出来事である。
勿論前述の通り100%の確率で当ててくるわけでもない。しかしそれをただ読み流すに留まらず、読んでいて「…ん?」と不思議な違和感を感じることもたまにある。先日送られてきた「第625号:自分ではない自分。」もその1つだった。
(文中抜粋)
「自分ではない自分」が現れそうになったら、その兆候がお分かりになるでしょう。そのとき意を決して、「いま自分ではない自分かもしれない」とお伝えくださいませ。もし前もって伝えられなかったとしても、「さっきまで自分ではない自分だった」と仰っても構いません。お相手は、決して悪く思われませんから。
上記の太字にした部分に、何か引っかかるものを感じた。何とも言い表せない違和感だ。前後の文章を全て読んでいても首を傾げてしまった。それが何なのか、暫く考えていた。私なりに読み解いた答えを書いてみようと思う。
きっと「ごめんなさい」を伝えて、という事なのかもしれないと思った。無意識のままに発した言葉に喩え意味が無くても、受け取り手の考え方次第ではどうにでも姿を変えてしまう。悪い意味を持っていない言葉だったとしても、感性の違いで関係を壊しかねない一言になる可能性だってある。
だからこそ、無意識で壊してしまう前に…壊れそうになる前に「ごめんなさい」と伝えられる事が、関係を維持し続けることなのではないかと思う。
松原さんはもしかしたら「謝る必要はない」と言うのかもしれないけど、正直実生活の中で「今○○だから…」とか「今日○○だから…」とか言われても「じゃぁどうしろと?話しかけなければいいの?何を言ってほしいの?」としか思わないし、どうにもできない。
「ごめんなさい」って、単なる謝罪の言葉じゃなくて、「気遣いのチャンス」になる言葉だと思っている。
「ごめんなさい、具合悪くて」
「そうだったんだ、じゃぁ今日はもう帰る?」
「ごめんなさい、今日ちょっと機嫌悪いかも」
「そっか。あまり無理しないでね」
「ごめんなさい、今忙しいんだ」
「わかった、落ち着いた頃にまた来るね」
言う側でも言われる側でも、「ありがとう」と同じくらい「ごめんなさい」は大事な言葉だ。思ってるだけでは伝わらない。人間ですから。
執事の館・準備委員会「第625号:自分ではない自分。」の全文は下記からお読み頂ける。松原さんの言葉はどれも響く言葉が多いので、他の文章も是非読んでみて頂きたい。文中に現れるお申し付けの品もなかなか興味をそそるものが多い。
ちなみに、会員登録制なので、有料制の「主の手帳」もしくは無料制の「仮の手帳」に登録すれば自分の名前+「お嬢様」「奥様」「様」「お坊ちゃま」で呼んでもらえるメールが届く。はい、私は「瑞穂お嬢様」って呼んでもらってます(笑)…が、この「名古屋の仮住まい」が出来る前から主の手帳を持っているのに一度も帰宅したことがないので色んな意味で不良娘である。
他人が発した言葉を正式に借りてこうやって文を書くのは初めてだったので、少々緊張するものがあった。難しいが思い耽るのは楽しい。また借りるかもしれません、松原さん。