同じ土俵に立つタイミングを間違えない
人を意図的に虐げる発言を続ける人って、何を期待しているんだろう。
私だって別に聖人君子なわけじゃない。時には他人に文句を言いたくなる時もある。かと言って何日も何ヶ月も何年も特定の人を虐げる様な話ではないが…こういうものって、言った側としても気持ちのいいものじゃない。何となく「怒りを発散したい」「不満をぶちまけたい」という欲望からつい溢れてしまう。いつだって誠実であれ、と思いたいが、まだまだ人として未熟なのだろう。
一方で「他人に期待していない人ほど、誰に対しても怒りを見せない」なんて寂しい話もある。「おおらかな人」と言われる人の大半はこれに該当する、とも言われる。他人の失敗を笑って許す。嫌なことを言われても気にも留めない。いつも笑顔で、いつも優しい。その裏側が「相手に期待してないから」なんて、残酷すぎる理由だと思うのは私だけだろうか。
そういう意味では、相手に苦言を呈することが出来るというのは、相手に一定の期待をしているという意味でもあるのだろう。期待された側としてはえらい迷惑かもしれないが…立場を逆転させてみれば、期待に応えたいと思える相手に失望されて文句を言われるのは悲しいことだ。そういう意味では(範疇はあれど)相手から文句を言われるのは一定量許容が出来る話でもあるのかもしれない。
その一方で「誹謗中傷」と言いたくなるレベルに虐げる発言を続ける人がこの世には残念ながら一定数いる。そういう人たちと言うのは当人とは無関係の人であり、ただ一方的に「文句を言いたいだけ」に過ぎない。中には本当に中身のない言葉をつらつらと並べただけの暴言もあったりする。見ていて気持ちのいいものでもない。
…冒頭に戻ろう。こういった「誹謗中傷」レベルで人を虐げる発言をする人って、相手に何を求めているんだろう。どんなリアクションを期待しているんだろう。泣き喚き取り乱す姿?怒り暴言を巻き散らすさま?一方的にサンドバッグにしているだけ?
彼らの言葉に「虚言」「妄言」はいくつ隠されているんだろう。
私個人の感覚だが、暴言・誹謗中傷の大半は裏側を知らない身勝手な考えや一方的な考えの押し付け、さらには被害妄想などの、とにもかくにも「自分が可哀そう!こんなことする人はありえない!みんな私と同じ考えでしょう!?」みたいな…まぁとにかくごめん理解できない(本音が漏れた)。
みんな揃って自分がかわいいのはわからなくもない。私だって誰より私がかわいい。かと言って我が身可愛さに他人を虐げるのが良いかと言われたらそんなことは決してない。今回は題材を「他人を虐げる発言」に絞ってはいるが、セクハラ・パワハラ・モラハラ等々の「いやがらせ(ハラスメント)」の加害者たちは往々にして「我が身可愛さ」にやってないって言い張るんだ。
やられた側にも問題がある!なんてご意見もあろう。確かにね、問題が無ければ目を付けられることもない。改善すべきところはあるのだろう。改善したところで嫌う奴は嫌ってくるからそれはもう「あってないようなもの」にするしかないのだけど。
どちらかと言うと、子供の世界じゃあるまいし、いい大人が「自分が気に入らないから相手を傷つけていい」なんて、幼稚園で教わりそうなタブー(やってはいけないこと)を平気でやらかすのだから、言う側に圧倒的に問題があるだろう。同じ土俵に立つな、なんて話があるが、自分が気に入らない人に誹謗中傷を平気でやったら、第三者から見たら「どっちもどっち」だ。残念ながらそこから上にあがれることなんて早々無いだろう。
過去経験から言わせてもらうならば、「他人の印象」で勝手に植え付けられた悪いイメージというのは大体植え付けてきた側の「虚言」「妄言」が大半だ。実際にその人と接してみたらなんてことない人畜無害、なんてざらにある。「あの人はこういうことする人だ!」なんて言うけど、それ貴方に対してだけだったりしない?さて、身を改めるのはどちらかな。
同じ土俵に立っていいのは、上を目指すときだけだ。最初はきっと一発で押し出されるかもしれない。それでも挑み続ける時だけ、土俵に立ち続ければ良い。きっといつか、押し返せる日がくる。そして、押し返せた日は誰も彼もに祝福される日に違いないだろう。
ぬかるんだ泥を塗りあっている様な汚い土俵には立っちゃだめだよ。
誰もそんな戦いを褒めてはくれないから。