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ため息俳句番外#52 角がとれた年月

 娘が結婚にあたって、処分してしまうにはちょっと惜しかったのだろう、こちらに送り返して来たものが、今は納戸のごとき娘の部屋にまだ置いてある。
 今では二人に子持ちの働く母親になっている。
 その荷物の中に、ラジカセがあったのを思い出した。なぜかというと、図書館で借りる落語のCDを聞くのに、パソコン経由だと不便なのだ。ソファーに寝転がって聞きたいのだ。そこで、そのラジカセのことを思い出したわけだ。
 
 スイッチを入れてみると、これがちゃんと稼動した。
 だが、これはCDラジカセではなくて、シャープ製のCDとMDの再生システムであった。見かけからラジカセだと思っていたら、そうではなかった。さらに、探すと、MDのカセットも出てきたが、これを聞くとなんだか娘のプライバシーに踏み込むようで、そのまま放置した。

 娘より長く実家暮らしであった息子の場合は、一人暮らしを始めるといって、出ていったときに、大量のCDと漫画、それにどうしたことか漱石と芥川と太宰とドフトエフスキーの全集を置いて行った。それから、親父には高価で到底手が出せないオーデオ製品やPCモニターなんぞも残していった。それから、半年余りで結婚した。一人暮らしとは、結婚の準備であったのだが、そやつはそんなこと一言も言わずに、出て行ったのだ。

 その置き去りにされた物品は、そっくり親父が受け次いで、重宝してきた。今度はそのCDを取り出してきて、この再生システムで聴いてみた。CDには、ちゃんとジャケットに収納されているので、その曲の氏素性は明らかだから、へいちゃら。そこにゆくと、ラベルのないMDは、中身不明であるので、はばかられる気がしたのだ。まして、女の子であるからねえ。

 さて今も、そのシステムで、CDを聴きながら書ている。
 アルバムは「Pizzicato Five R.I.P.〜Big Hits and Jet Lags 1998-2001」。
今朝は、いかにも秋霖といった風な感じで、肌寒いほどのお彼岸の朝だが、こんな爺ィの気分をかなりhappyにしてくれている、いい気分だ。  

 自分の音楽を聴く耳は、いいかげんなものだが、このシステム、音が優しい。角がとれてあったかい。
 娘は就職と同時に一人暮らしになったのだが、誰でもそうであったように、最初の一年は苦労したらしい。辛い日々にきっとこのシステムで音楽を聴いていたのだ。そう思うと、ちょっとしみじみとなる。

 そんなこんな、ちょっと感傷的になる爺ィは、お笑い草だが、二人の子もそれぞれ親になって頑張っている。
 家族四人で暮らした日々には、波風もあってお互いに辛い日もあったが、今となると、このシステムの音のように、年月によって関係性の角がとれて、いい感じになってきていると思うのは、爺ィの勝手な思いだろうか。
 この彼岸の連休は、それぞれに予定があるそうだ。結構なことだ。