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ため息俳句84 祖谷かずら橋

祖谷といえば、田中泯のあの「祖谷物語」を思い出すのであるが、今度のかずら橋見物は、能天気な物見遊山の一コマである。
高知から金刀比羅宮への移動の中間で、祖谷と大歩危小歩危の観光をしない手はないので、先ずはあの有名な祖谷のかずら橋に立ち寄った。

祖谷かずら橋

日本三奇橋の一つとかいわれて、3年に一度架け替えられるのだそうだ。蔓で作られた、祖谷川の渓谷に設置されている吊橋である。長さは45メートル、渓流からの高さは14メートルとか。その起源を空海やら平家の落人にかかわる伝説に求めるというのはありがちな話であるが、要はこの地の住む人々が自力で設備したインフラである。近くから調達できる資材としてかずらが利用されたとうことだろう。ウィキの情報では、文献資料上の初出は1657年であるというから、出来たのは500年前にはあったと想像してもよいかもしれない。もしも、3年に一度の架け替えが続けられてきたのが事実だとすれば、それはたいしたことである。
とはいえ、現在はすかっり観光地化されて、観光バスで学童が遠足?にやってきていたほどだ。

ところで、何を隠そう自分は高所恐怖症である。孫連れで遊園地に行くにつけても、内心穏やかならぬものがあるのだ。だから、このかずら橋を見物は、できるなら旅行コースから外したいと思っていた。しかし、四国を旅先にと女房がリクエストを出した時、すでに彼女の頭にはいつかテレビで見たかずら橋が架橋済みであったのだ。
とにかく、古女房はお調子者である。列があれば後ろに並びたい、高いところがあれば登りたい、そう人である。いざ、現地につくや橋を渡るのは当然と、さっさとチケットを買ってしまった。それも二人分。こちらの迷惑なんてお構いなしだ。
そうなれば、仕方ない。それは、文字どおり脇目もふらず足元に全神経を注ぎながら、一歩一歩進む。手すり替わりの蔓をむんずむんずと掴んで、おそるおそる渡り切った。橋の真ん中であたりで若者のカップルが顔を寄せ合って、自撮りなどでいちゃついている、その時の自分の内心の声は、冷静な今はここに文字にはできない。
この旅では初日の松山城へ至る時もひどかった。あの城は、けっこうな山城である。そこで、山上へ行くのに、なぜかロープウェイとリフトの二系統が設置されていた。不可解千万であるが、自分の選択はロープウェイ一択である。リフトには床がないのだ。しかるにあのお調子古女房は、登りはリフトとはしゃいでいた。旅の始まりであるからと不承不承付き合った。リフトは足がブラブラする。怖い。リフトの椅子を吊り下げているポールに取りすがって、事なきを得た。
どれほど長年連れ添っていようと、一方がただ己の欲望快楽を求めれば、連れ合いの苦痛なんぞへの同情心など消し飛ぶのだと、再確認したのであった。まあ、お互い様だが。


恋人と祖谷の吊橋とおりゃんせ