ため息俳句 隣町の七夕祭
隣町は、例年七月七日から九日の間に七夕祭を開催する。
隣町は新一万円札に登場する人物の出身地である。
会場は、旧中仙道街道筋の商店街。
かつて宿場であったことが偲ばれる古い建物もある。
この頃はこんな所も、・・・、この中の一軒で夕飯を食べた。
道の両脇には、露天が軒を列ね、たぶん旧街道の道幅しかない狭い道路はごった返していた。
コロナ禍から解放された気分が行き渡っているのだろうか、道行く人の半数以上が制服姿の高校生であったが、ほぼマスクをする人はいなかった。
例外なくどんな祭りでも自分は好きだ。祭りの雑踏がとても好きだ。ざっくばらんで気取らず、馬鹿げていて、時には卑猥で、野卑で、それでいて神聖で豪華絢爛であったりする祭の現場に立つと年甲斐もなく未だにわくわくする。
この七夕祭を皮切りに、この周辺の町々で夏祭りやら花火大会やらが八月末まで連続していく。ちょっと、気分が高揚してくるのだ。
北埼玉のこの辺りは、七夕祭は月遅れの八月七日であった。子供達にとっては夏休みの行事である。七月末には祇園祭りがあって祭りの間中、町内の山車の引き綱にとりついて過ごした後に来る静かな祭りであった。
前日、母が近所のお宅の竹藪から笹を頂いてきて、七日の昼に飾り付けをした。全て手作りで、短冊を何枚も書いた。何を書いたか忘れたが、兄弟三人して幾枚も書いたのだった。飾りはみな紙製で、金紙銀紙は貴重な気がした。新聞紙や広告の紙も使った、質素な飾りである。母は巧みにハサミを使って、大判の色紙で投網の飾りを作った。毬のような形のものも作った。富山の薬屋が置いていった紙風船なども吊した。細く切った色紙を糊でつないで、吹き流しにした。その晩はその笹を門口に立てて、七夕祭りとなった。ちょっとしたご馳走もあった。時には街にでて商店街の七夕見物にも行った。静かな夕涼みであった。
そうして、翌朝、その飾りのついたままの笹を、近くの川に流しに行ったという記憶があるのだが、これははっきりしない。
七夕というのは自分にとってはそういう祭りである。
とは言え、今夜の七夕祭りだって、悪くはなかったのだ。
「七夕」の地上は暑し雑踏す
俳句読みの方は、今夜を七夕とお認めなのだろうか。