ため息俳句 冬の暮
下校する児ら足早に冬の空
家の前の道路は、通学路になっていて小中学生が登下校してゆく。
この時期は、一年内で最も日没の時間が早くなる。
であるから、小学生でも下校時には夕暮れが近い。
今日のような曇っている日は、日暮れの気配が漂ってくる。
小学生は黄色の帽子をかぶっているのだが、その色も寒々しく見えてくる。先月ごろは低学年のおしゃべりが聞こえてきたものだが、この頃は口数も減っているようだ。
子供の自分が通っていた小学校は、通学に子供の足であったから徒歩30分ほどのところにあった。
途中にジーゼル機関の1両編成が隣町まで走っていた。今でいえは高架線とでもいうのか、土手の上に線路が敷設されていた。高さにしたら5、6メートルいやもう少しあったが、斜面は雑草の芝生となっていて、この土手は子供たちの楽しくも一寸危険な遊び場になっていた。
正式な通学路は指定されていたが、この土手伝いに帰ると近道になった。当時は集団下校なんてなかった。退屈ななんたら委員会などあると、一人で帰るのでった。
この土手へ抜ける途中には、お稲荷さんの境内があった。小さな木立、鎮守の森などとは言えない程度だったのだが、二学期の終わりごろにはその辺りは人の顔が見えないくらい暗かった。その境内の脇に道があった。自分は、夏場なら平気の平左であったが、冬はまっすぐ道の先を見つめて早足に通り過ぎるのだった。境内の方には、目をやらなかった。なぜなら、人さらいが待ち伏せるか、化け物が潜んでいるかと、怯えていたからである。
これは、中学生になってもかすかな恐怖として残った。勿論、人さらいなんて信じなかったが、「兵隊」の幽霊が現れると噂されていたからである。
さて、齢七十を過ぎた今はどうかというと、その手の恐怖感がまったく消えたかというと、そうでもないような気がする。