「現の証拠」とは、野草の名である。
今年の夏、連日外出は控えてといわれていた、そのせいにするわけでは無いが、森林公園から足が遠のいた。昨日、秋風も感じ始めたと一月振りに出かけたのよいが、真夏日となった。
その森林公園で、現の証拠はいつものところに咲いていた。
昨年は、白い花で無くて、こちらにであったのだ。
色は違うが、現の証拠である。
さて、この「現の証拠」という奇妙な名であるが、それはこれが薬草であることに由来する。長くなるが、自分的には興味深いので引用する。
「赤痢に尤も可也」というのは、なかなかのものである。民間治療薬としてたいそう貴重なものであった。
それは、小さく目立たず可憐な花を咲かせる。日本全域の道端や公園に自生しているというが、自分はこの森林公園で、教えられるまで知らなかった。
げんのしようこのおのれひそかな花と咲く 山頭火
そうあるように、気を付けていないと見過ごしてしまうほどの素朴さである。
先の解説でフウロソウ科であると、それは「風露草」と書く。その名からも、ゲンノショウコの花の風情を感じられる。
いずれにしろ、この草がそうした薬効のあるものだという知識も記憶もない自分には、縁もゆかりもないものであった。しかし、ようやく「現の証拠」という花とその人とのかかわりの来歴を知ったというのは、老い先短い身であろうと忘れてはいけない意味あることだとおもう。
俳句にしろ短歌にしろ、日常の些事で心にとまったことを述べるとうことは、一面ではこういう記憶にとどめるべきことを、記録するという役割を担っているといえるだろう。そんなことを思った。
うちかがみげんのしようこの花を見る 虚子