ため息俳句 若草山の月
さて、今度の旅行で一番心に残っている景色は、行く先々の紅葉ではなかった。一日目の暮れ方、東大寺前鏡池のほとりから二月堂へと続く道、そこから眺めた若草山の上に出た月であった。27日が陰暦十月の満月であったから、25日の晩は十三夜月と数えられる。
カミさんはどうであれ、自分としては今度の旅のクライマックスが奈良に着いたその夕暮れ時に来たのであった。
当日は東大寺の夜間参拝というイベントがあって、参道や鏡池の縁に灯篭が並べられて点火されるのであった。自分たちはてっきり大仏殿も全体がライトアップされるものと決めつけていて鏡池のほとりで待つことにしたのだった。
ところがじっと待つだけでは少々寒い、体を温めようかと、二月堂辺りまでと歩きはじめた。徐々に暮れてゆく坂をゆっくりと行った。
両脇の暗い木陰で鹿が草を探している。あるいは、椎の実なども食べるのだろうか。
やがて、ひと際深く朱に染まった紅葉の梢が見えた。
そうして、月が見えた。
道の両脇から日の落ちた空を覆い隠すように繁った紅葉の枝葉越しに月が見登っていた。
トワイライト、月の下には若草山。
絵にさえ見たこともない景色に、時のたつのを忘れて眺めていると、ほどなくとっぷりと暮れて、紅葉はシルエットの闇色となった。
月のみが煌々と照っていた。
奈良の月と言えば、まず誰でもが思い出す歌ならこれだろう。百人一首にもある阿倍仲麻呂のこの歌であろう。
天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも
自分が見た月は「三笠の山に出でし月」であったようだ。仲麻呂が懐かしく思い出した月を、時を遠く隔てて自分も見ることが出来た、そんな気がしたのであった。
黄昏が濃くなるころ、紅葉の林の小川の辺りに鹿達が集まってきたのだった、ねぐらへ帰ったのだろうか。
西行にもこんな月の歌がある。
三笠山月さしのぼる影冴えて鹿鳴きそむる春日野の原
そんなこんなで時を忘れ立ち止まっては、月や紅葉を眺めていたので、二月堂どころか鐘楼にもたどり着かない。体は温まるどころか一層寒さを感じて、そろそろ頃合いかと、鏡池まで戻った。地上の灯籠は全て灯がともっていた。しかし、肝心の大仏殿のライトアップということはないのだと辺りの人々の声から知った、参拝のみであると。自分たちの当てが外れたが、鏡池周辺は賑わい始めていた。確認すると大仏殿への入場は6時過ぎだというではないか。その晩は、奈良町の店に6時半で夕飯の予約をいれていた。
しかたない、場所を移すことにしたのであった。
ゆくりなく紅葉に月の三笠山
あをによし神無し月の十三夜
角なしの牡鹿とて鳴けこんな夜は
奈良町で。
月隠る路地の庇の奈良茶粥
温まった。