ため息俳句番外#54 禍福は糾える縄の如し
「禍福は糾える縄の如し」、という諺は時には不如意の励ましにもなるし、また時には「よき今」に暗雲を予感させる言葉ともなる。
この歳まで生きてみると、幸と不幸は交互にやってくるというのは、まんざら空言であると片づけられないような気がする。確かに悪いことが打ち続いて真っ暗闇の長いトンネルを手探りで歩いているような時がなかったわけでないが、それも長いスパンで見なおすと、明けない夜はないという原則にのっとって、やがて彼方に明るい出口を見いだせたものだ。
ともあれ、今という時が平安であったとしても、くれぐれも油断してはならないというのは、言うまでもない。
昨日、デスクトップパソコンのファン唐突に回転しなくなった。電源は入るが、ウィンドウズが起動しない。ハードディスクが駆動している音は聞こえるが、画面は真っ黒である。購入して6年目。またしてもD社製。よく壊れてくれる。とりあえず明日、手持ちの電源ユニットと交換してみようと思う。
そういうわけで前触れもなく、よくないことが起きたのであるが、その数日前には予想だにない幸せに遭遇している。
過日、前橋の美術館へ行ったことを書いた。その日のことである。
要は、読み終えて手放すことのできる本を、次の読者に手渡すというブックフェスが、アーケード商店街で開催されていた。自分はそんなことは全く知らなくて、前橋駅からアーツ前橋にゆく欅並木を歩くている時にこのイベントの告知を見たのだ。
前に書いた通りで美術館を出た。ちょうど昼飯時、少し坂を下りたところに町中華の店が営業中。入店するとお客さんがいっぱい、でもカウンター席に通してくれた。初めての町中華では、大抵はどこにでもあるラーメンチャーハンセットを頼むことにしている、「ラーチャー」である。町中華ではラーメンとチャーハンでその店の実力を推し量ることができるというのが自分の信念である。さて、このお店、とてもよかった。大抵は、セットの場合ラーメンが主役でチャーハンはお供であるが、このお店はチャーハンがメインなのだった。よいではないか。ラーメンはスープがあっさり味で、脇役として申し分ない気がした。量もたっぷり、味と価格が見合う良心的な店で、とてもいい感じであった。
腹を満たして、よい気分。
ブックフェスのアーケード街へ向かった。
果たして、長いアーケードにシートが道なりに敷かれて、そこのシートの両側に本が一列づつ行儀正しく並べられていた。延々というのはオーバーであるが100メートルぐらいは続いていたと思う。
人々は座り込んで本を手に取っていて、立錐の余地もないというのはちょっと言いすぎだが、本を探す人でおおいに込み合っていた。
その光景に、自分はちょっとびっくり。自分のイメージとしては、例えば神田の古本市のような古書店の出店が軒を連ねている、そんな風に思っていたが、全く違っていた。
とにかくせっかくの機会だからと、人々の頭越し肩越しに、露骨に言えば「物色」する気構えに変わった。
と、数メートルも進まないうちに、見つけてしまった。つい先ごろから手に入れたいと思っていた一冊であった。
「橘曙覧全歌集」岩波文庫である。店頭にはない本であるからネットで注文しようと思っていた矢先である。この偶然に驚きつつ側にいたスタッフの若い女性に、「会計する場所はどこですか」と尋ねた。するとそのお姉さんは、一寸怪訝な表情を漂わせたあと、このブックフェスの趣旨を説明してくれて、「ここの本は、全部無料でお持ち帰りいただいています」と、にわかには信じがたいことをおっしゃった。
この世知辛い浮世で、なんとまあ、ということだ。 それから、それならばと、老人の厚かましさを発揮して、ほかに三冊、全部で四冊、いただいてきた。 その三冊は偶然にも一度ほど目を通しただけのような新品同然で、その内の二冊は俳句の評論で、おそらくお一人の人の蔵書であったらしい。というのは、挟んであった栞が、同じものであったのだ。いづれにしろ、ありがたく読ませていただきます。
4冊ともなると、これはかさばるので、近くのセブンイレブンで、コーヒーを買い、袋をつけてもらって、それに入れてぶら下げて帰ったのである。とにかく膨大な本があり、そこで気になっていた一冊の文庫に遭遇するなんて、ただ事ではない。ラッキーだったの一言では済まない気がした。1999年刊定価税抜き900円の岩波文庫、これが幸運にも無料で入手できた。これはないがしろにできない一冊になったと思った。どこの誰とも知れぬお方の厚意をいただいたのである。
できれば、自分の本もここで役立たせてもらえないものかと思っている。来年も開催されるだろうから、すこし調べてみよう、そう思いつつ帰った。
こういう幸運が数日前である。そうして、昨日デスクトップPCがポシャンとなった、実に具合の悪いことになった。これが飛ぶと、ヘボながらも撮りためた膨大な量の画像を失う。
果たして、この老体のお頭で復旧できるか。
いやいや、ここは「万事塞翁が馬」、悲観ばかりしていたら残り僅かな余生がつまらなくなると、そう思って今夜は寝るとしよう。
あの栞には、こうあったのである。
紫陽花やはなだにかはるきのうけふ 子規
人の心もね、ということだ。