ため息俳句 秋の水
「秋の水」は、季語である。「秋水」とも。
だだの「水」では、季語としては使用例はないようだ。
春は「春水」夏なら「清水」秋はそれ、冬には「冬の水」、年が改まると 「若水」とか、「水」の付く季語なら全部で数百に及びそうだ。そうであろう、なんといっても「水」は人の命であるから。
まあ、それはそれとして、「秋の水」なのだ。
近くの植物園風の公園に睡蓮が咲く小さな池がある。コンクリートで囲われた長方形の堅固な箱である。それは水面が約地上1メートリの高さのプールというか、池というか、水槽というか、ともあれ常に水が張られている。あるいは、ビオトープのような理想環境を目ざした名残かも知れない。水生植物の栽培を意図しているのは確かだ。
自分はこのプールの脇から、水面に映る矩形の空が好きだ。
睡蓮は花の頃はもちろんのこと華やぐのであるが、少し黄ばんだ浮葉があって、華も蕾もない秋の方が寂しくて一番好きだ。
いつだって水は澄んでいるのだが、プールの底の水苔の暗い赤褐色が透けて見えて、一見しては薄く濁っているかのようだ。
秋のプールの空は、水面によく映えるのである。まぶしい夏は光の反射が過剰である。そこへゆくと秋の日差しは、プールの底まで透き通ってゆく透明な光である。秋の水は、よく光と親和しているのだ。そうして、適度に冷たい。
水底のほのかに明かし秋の水
秋水に睡蓮の葉は黄変す
この小さなプールには、一年を通してメダカが棲んでいる。観賞用のメダカらしく交雑して凡庸な色目に落ち着いてしまったようだ。
麦魚には此処よりはなし秋の水
プールは簡素な薔薇園の中心にあって、薔薇園は高い樹木に囲まれている。そうして、そうして秋空を映す、水面は静かに揺蕩い、光は煙のようにもやっている。
このプールの周りで、人に出会うことはまれだ。
ここで、鳥たちの声を聴くのはやすらぎである。