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#25 別るるや柿喰ひながら坂の上 惟然
別るるや柿喰ひながら坂の上 惟然
誰との別れかというと「翁に別るるとて」とあるから、師の芭蕉との別れである。
別れの時が来て、柿を齧りながら坂の上から去ってゆく人を見送った。それだけのできごとだが、とても好きな句だ。
別れてゆくのは、敬慕してやまない師である。
惟然の人となりを思い合わせると、この句を初見した時のおおらかなものだという第一印象とは、ちょっと違ってむしろペーソスの漂う感じがしてくる。
広瀬惟然《?~宝永8(1711)》は、美濃国関の人で、富家に生まれたが、感ずるところがあって妻子を捨て、風狂の内に生涯を終えた人であるといわれている。元禄元年のころ芭蕉に入門し、三年ころから芭蕉の身近にあった。
師の没後は諸国を漂白し、晩年は故郷に帰って隠棲した。寡欲で飄逸,奇行に富んでいた。鬼貫などとも親交があった。
芭蕉の死後、惟然は口語調や無季の句を詠むようになる。
梅の花赤いは赤いは赤いはな 惟然
よく知られている句であるそうだ。ただ梅の花が赤いと言っているだけだが、とにかく「梅の花が実に赤い」と感じた刹那の思いがよく表れているとい評があって、自分も同感だ。
水鳥やむかふの岸へついつい
これも、口語調である。
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