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#29 障子貼る母にさからひ出でゆきぬ 広沢紀念子

 クリスマス寒波の南下して日本海側の各地と豪雪の山間部は12月としては、稀な大雪であるということだ。その地方にお住いの方々はさぞやと推察申し上げたい。これも温暖化の一面だといわれている。
 さて、自分が住む関東平野の中央部は、連日の晴天で降雨が全く途絶えている。12月に入ってからも一滴も降っていない。 

 さて、今日は障子の貼替えをした。「障子貼る」というのは、秋の季語である。「障子洗う」「障子貼替」いづれも同じである。
 秋風が吹くころになると、そぞろに障子や襖が恋しくなる、夏場は風通しよく生活してきたのだが、寒さが身に沁みるようになるからだ。そういう生活ぶりが昔はあったらしい。そこで、障子を貼替えて、気分を一新してというのが、この季語の意味合いだという。
 が、我が家では一日かけて行う年末の習慣となっている。というより、これは自分が決めたことで、実家の母の習慣を自分の家庭で継承しているのだ。
 結婚当初都内の賃貸マンションに居たのだが、その部屋にも障子があって、そこで貼替えを始めた。
 粗末な家でも、障子ぐらいは新しくして年神様を迎えるというのが母のこだわりであった。来る年が、一家にとってより良い年になりますようにという願いがあったろう。自分としては、この母の「心意気」を良いものだと幼心刻んだのだと思う。
 とはいえ、家を出て一人で暮らしていた時期は全く思い出すこともなかった。ところが、結婚して賃貸に住んだその年の暮、唐突に障子の貼り替えをしたくなったのである。
 以来、今年まで貼り替えをしなかった年はないのだ。

 

障子貼る母にさからひ出でゆきぬ 広沢紀念子


 平凡社版「俳句歳時記・秋」で、見かけて印象に残っている作品である。人生の一場面がここにあるように読める。
 「障子貼る母」というのが鮮やかなイメージとして立ち上がってくる。その背中が見えてくる気がする。そんな母親にに逆らって、家を出でいってしまったというのだ。出て行ったのは誰なのか、この句からではどうもはっきりしないのだが、勿論自分の経験ではないが、なんだか身に覚えがあるような気持ちにさせられる。母の意に背いたことは数限りなく自分にもあるからだ。

 失礼だが、作者については何も存じ上げない。が、なんだか近しい感じがする。