ため息俳句番外#4 鶏鍋
井伏鱒二の「厄除け詩集」を読んで、懐かしく思い出したことがあった。
その詩を引用する。
昔の田舎では、鶏を飼って卵をとる家がここかしこにあった。鶏も年を取ると卵を産みづらくなるらしく、そうなると、飼い主は「絞める」のであった。
実家の隣のMさんの家では鶏を飼っていた。ある日、Mさんの家のふたり姉妹とMさんの家の庭先で遊んでいると、おじさんが鶏を小脇に抱えて出て来た。もう一方の手には頑丈そうな包丁が握られていた。おじさんは、妙にすました顔で「今夜はうまいものが食えるよ」と云った。
その後はよく憶えていないのだが、鮮血が飛び、その色が目に見えてくる。ついで、首のない鶏がMさんちの生け垣をぐくって、先の麦畑を突っ走って、そして、パタッと倒れた。あっという間の出来事、悲鳴のような声は上げなかった。
ボクはその顛末を目撃してしまった。あっけにとられて呆然としていると、二人姉妹はケラケラ笑っていた。ボクの驚きようが可笑しかったらしい。
おじさんは、鶏の両足を縛って、梅の木の枝につり下げて、おばさんと一緒にその鶏の羽をむしり始めた。
・・・・・・・、そこまでの記憶だ。
井伏さんの詩の「勉三さん」の詩は、ボクの幼年時代の記憶を更に補正してくれて、リアルさを増してくれた。
例えば、「薄刃の鎌」、これ怖い。
「最期の羽ばたき」、そう、確かにMさんちの鶏も、飛び上がりはしなかったが、猛烈な勢いで羽をばたばたとやりながら、疾走していた。
そして「むくろ」、むくろと云われると、あああれはほんとに「むくろ」であったなあという、感慨がやってきた。
井伏さんは、1898年生まれであるのに、ボクはほぼ同じような体験をしていたのである。
ついでに云えば、Mさんの家からそれまでも時折、鶏肉を頂くことがあった。特に卵の黄身が数珠つなぎのようにでてくる鳥鍋はご馳走であった。ああ、あれらは、こうしてボクの口に入ってきたのだと判った。
そして、あの鮮血の色は、こんな爺さんになっても、目に見えるような気がする。
終りに一言、井伏さんの詩は、要注意である。