#1 ゆく春や蓬が中の人の骨 星布尼
ちょとした出来こころで、老人の閑の埋め草にと、noteの軒下をお借りして、二度目の春も暮れようとしています。
いつまでも「俳句もどき」を言い訳にサボるのはたいがいにしようかと、後期高齢者とよばれる直前にふと思い立ち、それでは先人、同時代の皆様の作品を至らぬながらも理解の及ぶ範囲ながら、一句づつ読ませてもらおうかということにしました。そのあたりで思うこと感じたことを記録してしてゆきます。つまり、年寄の冷や水的なお勉強です。徘徊老人です。つきまして、無知と老いゆえの言いたい放題もあるやに、そん時は本編「ため息俳句」同様、笑ってお忘れ下いますよう。
では、早速#1。
ゆく春や蓬が中の人の骨 榎本星布尼 (1732~1814)
大岡信さんの「百人百句」(2001)で、目にした句です。
過日、我が家も草餅を搗いたと本編で触れました。蓬は自分の畑の隅で作っています。そしてその蓬は、近くで耕作放棄したらしい荒れ果てた田んぼに生えていたものを、移し植えたものです。蓬は、本来そんな風な野草です。
その蓬つながりではありませんが、こんなことが詠まれるのだと、感心したのです。
野ざらしの骨といえば、つい落語の方の「野ざらし」を思いうかべてしまいますが、この句の場合のついて大岡さんは、星布が同時代に起きた天明の大飢饉で亡くなった餓死した人の骨であると推察されています。
天明の大飢饉というのは、天明2年(1782)から同7年にかけての大飢饉をさします。とりわけ天明3年の浅間山噴火の影響は甚大で奥羽・関東地方の被害が大きく、餓死と疫病流行で全国で90万以上の死者が出たと云われています。打ちこわし、一揆が続出した時代でした。
自分が住む利根川中流域も、浅間大噴火については地域の歴史に今もって刻みこまれております。
当然、作者もこうしたことは聞き及んでいたし、身に沁みて感じたこともあったはずです。
ですから、作者が実際に蓬生の荒れ野を行き、飢えて亡くなった行路人の骨を実際には目撃しなくても、想像力の範囲で詠むことは十分に可能であったと、思われます。あるいは、誰かからの体験談として伝聞したことかもしれません。
蓬を見たことのある人なら、蓬の若い葉の色と香りをご存じでしょう。たとえ野ざらしの骨であっても、わづかな救いを感じ、哀れさが一層増す気がします。
ついては、こんな風に現実を切り取ることもできるのかということを思いました。それも、「行く春」と「蓬」というところに女性のまなざしを感じました。
日ごろ、拙いながらも現実に根差す表現をしたいものだと、心がけてはいるものとして、覚えておきたい一句だと思いました。