ため息俳句番外#29 棘
魚の小骨は喉に刺さるものだと思っていたら、右の手の人差し指にぴしっと刺さった。ちょっと掃除をするのでと敷物の下に手を入れた瞬間である。
刺さった箇所は、手のひらを上に向けて、人差し指の第一関節と指の先端真ん中辺りである。ぷっくりと柔らか部分だ。
「痛っ!」
老眼ながら目を凝らすと、棘の尻尾が見えていた、左の親指と人差し指を動員してその皮膚上のその辺りを探って、エイや!と、摘まむように引くと、意外にも安々と抜けた。魚小骨?、多分違いない。
抜けた跡に、血液がプチっと湧いて出てきたので、焦って消毒液スプレイを救急箱から取り出して、プシュプシュとやった。
棘が刺さると、即時に破傷風で死ぬかもと、恐怖に駆られるのである。これは、もう幼年期から変わらない。その頃、誰かから破傷風は、「だいたい死ぬものだ」と、脅されたに違いない。脅したヤツは誰か?は思い出せない。でも、刷り込まれてしまった。この破傷風と狂犬病の二つは、今もって背筋をぞくぞくさせる恐怖である。どちらか言えば猫より犬が好きなのだが、野放し状態の犬に出会うと、絶対に近寄らない。
子供の時分は、なんだか棘によくさされた。ある時、確かに棘は刺さっているのだが、目に見えない。そこをそおっとさわるとちくちくする、だが目見えない。そこで母が何をしたかというと、舌先で棘の在処を探した。舌先が異物を探り当てた付近に、極小の透明なものを母は見つけ出した。多分ガラスの破片。明るい日光の下に出るとわずかに光った。それを針の先で、掻き出してくれた。
棘の思い出のひとつだ。
いつもの如く愚にもつかない駄文である。
さて、物理的な意味での棘は抜けるのであるが、抜けないのは比喩的にいうところの「心の棘」である。では、こんな句はどうだろう。
さゝつたとげを一人でぬかねばならぬ 尾崎放哉
この「とげ」はどちらの「棘」であろうか。
どちらにしろ、大人の自分は、棘は一人で抜くのだ。
そうして、抜くに抜けきれない棘の何本かはこの身体もろともいづれ灰となるのだ。