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#10 動く葉もなくておそろし夏木立 蕪村

 鬱蒼とした夏木立の道を行く。
 行く手も、振り返っても、森はまったくの無風で、葉っぱ一枚動いてない。
 静まりかえっている、不気味、おそろしい。

 そんな感じだろうか。

 関東平野の水田地帯に生まれたので、身近には小さな雑木林はあったものの森林とまでいえるような場所は無かった。

 何度も書いてきたが、武蔵丘陵森林公園は自分にとって心身のリフレッシュの場であるのだが、平日の人気のない林間の道を行く時々、わけも無く胸が騒ぐような感じがして、つい足早になってしまうことが、時折ある。
 それは、子供の頃の森林体験の希薄さからというより、森というのはやはり自分にとってはまずもって「異界」であるのだ。

 この句は、葉っぱ一枚微動だもしないというのだが、自分が不思議と思うのは、たった一枚、一本の葉だけが戦いでいるのをよく見かけることだ。あたりは、深閑と不動であるのに、その葉、その茎にだけ風がある、そこにかすかな気配のようなものを感じる。

 同じく夏木立の句で、これの方が良く知られているだろう。

いづこよりつぶてうちけむ夏木立  蕪村

 今度も、夏木立の道を行く。すると、突然近くにバサッと音が聞こえた。はっとして息を飲み込むが、それっきり静まりかえっている。きっとあれは、もしや、「礫」。ならば、一帯どこから何を狙って打ち込んできたのであろうか。一気に恐怖に駆られて、胸騒ぎがとまらない・・・。

 「動く葉もなくて」も「おそろし夏木立」であるが、そんな道中の異様な物音である。鳥や動物であれば、ばさばさと動くものの気配があるが、そうではならしい。正体不明、これが一番恐ろしい。
 自分であれば、飛び上がってその場から逃げ出してしまいそうだ。


 「礫」と云えば、まず天狗礫を連想するが、それだけでもあるまい。例えば、柳田國男の「遠野物語」である。奥山の森には、天狗以外にも異人も棲むという。

三五  佐々木氏の祖父の弟、白望に茸を採りに行きて宿やどりし夜、谷を隔てたるあなたの大なる森林の前を横ぎりて、女の走り行くを見たり。中空を走るように思われたり。待てちゃアと二声ばかり呼よばわりたるを聞けりとぞ。

「遠野物語」

 だからその礫も、いったい誰の仕業かと思うだけで、恐ろしい。

 礫の句は、小説的仕立ての句であると云われている。そうしたアイデアを思いつくのは、蕪村自身の放浪中の実体験からかも知れない。

 さて、この小説的ということだが、今時の俳句ではありふれた手法であるが、なかなかに成功させるのは、困難なように見える。