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切なさに賞味期限があると思います?


切なさに賞味期限があるのかな。

南米に古くから伝わることわざがある。

「老いる者と若さを重ねる者がいる」

歳をとると感性が鈍くなると言われるがいざ自分が高齢になってみるとこれはとんでもない誤解だと思うようになった。

自己弁護かもしれないけどね。

【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第12回】

歳をとることによって失うのは体力と気力。

興味のあるものにまっしぐらに向かう体力と気力が若いときにはそなわっている。

歳をとってその二つは経年変化するけれど、興味、好奇心、感性が衰えることはない。

感性は経験を重ねた分だけ深みを帯びるものだ。

しかしながら大好きな吾妻光良とスインギン・バッパーズのために渋谷クワトロのスタンディング・ライブを観にいくことはもう出来ない。

クワトロでいい場所を確保するためには開場1時間前には並ばなくてはならず、入場してから始まるまで1時間立ちっぱなしで待ち、ようやく演奏となるわけだが、その後終演まで1時間半過ごす体力や気力が今のぼくにはない。

71歳になった今でも面白い芝居やライブを見たいとは思っているが、体力と気力が失われているのも事実で、それが何とも悲しい。

最近、こどものころに感動した映画を57年ぶりに観たんだけど全然面白くなかった。

いったいその映画の何に感動したのかまったく分からない。

同じようなことを読書でも試したことがある。

切なさに賞味期限があるだろうかということを試したかったのだ。

リチャード・ブローティガンという作家がいる。

70年代に本好きの間で話題になった作家で代表作は『アメリカの鱒釣り』。

ぼくの一押しは『愛のゆくえ』。

「愛のゆくえ」は町の人たちが自分で書いた本を預けに行く小さな図書館に住み込みで働く管理人が主人公の物語だ。

図書館は夜の9時には閉館するのだが夜中や明け方に書き終わった本を預けに来る人もいるので一年365日24時間勤務の彼は、勤め始めて以来その図書館から外に出たことがない。

管理人の他に登場人物は二人いる。

一人は本を預けに来て以来、管理人の恋人になり一緒に暮らしている女性。

もう一人は図書館に溜まった本を洞窟に保管するために数ヶ月に一度受け取りにくるトラックの男。

登場人物はほとんどこの三人だけ。

40年前に読んで、なんて切ない物語だと感動したこの小説を今読み返して感動するだろうか?

切なくて胸キュンとするだろうか?

『愛のゆくえ』というタイトルはロマンチックな恋愛を想像させる邦題だけど、原題は『 The Abortion: An Historical Romance 1966』

Abortion=中絶

村上春樹が小説を書くときに最も参考にしたと言われているブローティガン。

残念ながら今回読み終わって切なさはほとんど感じなかった。

もともとそれほど切ない物語ではないのに記憶というイリュージョンが切ない物語に仕上げてしまったのだろうか?

それともぼくの感性が錆びついてしまったのだろうか?

切なさにも賞味期限があるのだろうか?

若い頃に観て切なさを感じた映画は何度観ても同じように胸キュンする。

例えば1971年のアメリカ映画『思い出の夏』。監督はアカデミー賞三部門を受賞した『アラバマ物語』のロバート・マリガン

1942年、戦火を逃れて田舎町にやってきた少年が人妻との一夜の体験を通して大人になる物語で第44回アカデミー賞と第25回英国アカデミー賞で作曲賞を受賞したミシェル・ルグランの音楽が極上の切なさを盛り上げる。

ぼくと生年月日が同じジェニファー・オニールが演ずる人妻の可愛いらしささとはかなさが涙を誘う。

主人公の若者と人妻が蓄音機から流れる音楽にあわせてゆっくりとダンスを踊る。

音楽が終わってもターンテーブルは回り続けピチッピチッとSPのスクラッチノイズだけが聞こえる薄暗い部屋の中で踊り続ける二人。

胸の奥からじ〜んとこみあげるものが・・・

この続きはまた明日。


切なさということになると外せないのが『アルジャーノンに花束を』じゃないかな。

明日もお寄り頂ければ嬉しいです。



連載第一回目はこちらです。
ここからご笑覧頂ければ嬉しいです。
第1回 亀は意外と速く泳ぐ町に住むことになった件。


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