帝王マイルスと彼の門下生たちが創り上げたすさまじい音宇宙!
1970年代に入るとロック・ミュージックに押されてジャズは急速にエネルギーを失って行く。
そんな風潮の中で積極的にロック・ビート、ファンク・ビート、電子楽器をとりいれて独自のサウンドを創り上げることに邁進したのがマイルス・デイビスとマイルス・スクールの門下生たちだ。
【きっかけ屋☆映画・音楽・本ときどき猫も 第50回】
マイルスは1945年に十代でデビュー録音してから1991年に肺炎で死去するまで、常に新しいサウンドを追い求めてジャズ界に君臨した帝王だ。
どの時代を切り取っても斬新で先鋭的なサウンドでジャズ・ファンを魅了してきたマイルス・デイビスにはジョン・コルトレーン(テナーサックス)、レッド・ガーランド(ピアノ)、ポール・チェンバース(ベース)、フィリー・ジョー・ジョーンズを従えた第一期黄金クインテット(1955〜58)とジョージ・コールマン(テナーサックス)、ハービー・ハンコック(ピアノ)、ロン・カーター(ベース)、トニー・ウィリアムス(ドラムス)を従えた第二期黄金クインテット(1963~68)に忘れられない名演の数々を残している。
例えばこの演奏。
1956年に録音されたアルバム『クッキン』。
第一期黄金クインテットの演奏による「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」
1964年に録音されたアルバム『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』
第二期黄金クインテットの演奏による「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」
マイルスがどれだけ進化しているかがお分かりいただけただろう。
マイルス・デイビスは常に過去の自分を否定して前に進む勇気を持った数少ない天才ミュージシャンだ。
過去のマイルスの幻影を追うジャズ・ファンを置き去りにして前進を続けたマイルスは1970年第三回ワイト島ロック・フェスティバルで60万人のロック・ファンを前にして演奏した。
第二期黄金のマイルス・クインテットを卒業した天才ドラマー、トニー・ウィリアムスがイギリスの超絶ギタリスト、ジョン・マクラフリンを世界に紹介した衝撃のアルバム『エマージェンシー』(1969)、帝王マイルスは『マイルス・イン・ザ・スカイ』(1968)『イン・ア・サイレント・ウエイ』(1969)、二枚組の超問題作『ビッチェズ・ブリュー』、たった5人のオーケストラ、ジョン・マクラフリンのマハヴィシュヌ・オーケストラの『内に秘めた炎 』(1971)、ハービー・ハンコックの『ヘッド・ハンターズ』(1972)、ウエザー・リポート最大のヒットアルバム『ヘビー・ウエザー』。
マイルスとマイルス・スクールの門下生たちがジャズを進化させた。
この続きはまた明日。
明日は可能性を求めたのはジャズメンだけではなかったというお話を。
明日もお寄り頂ければ嬉しいです。
連載はここから始まりました。
電子書籍を販売しています。
Kindle Unlimitedでもお読み頂けます👇
2002年から書き続けているブログ「万歩計日和」です。