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都市は田舎の線上にある 

「いつも心は田舎にあるよね。」

そういわれる私は、18才で長野県を出てから30年以上たっていますが、正真正銘の田舎者です。

東京の観光名所には喜んでいくし、行列となれば何の行列が確かめるし、普段見慣れない服装の人をみるとじーっと見てしまうし、長野県の番組があれば録画して見るし、おなじ作物で似たような値段で、長野県と他県のものがあれば長野県の物を買います。おまけに長野県特有のアクセントもぬけません。

都会から田舎は見ようとしないと見えないけど、田舎から都市はよく見えます。SNSが発展していなかった時代でも、テレビがありましたから。

暗いところから明るい場所が良く見えるように、わたしにとって都市と田舎は同じ線上にあります。

明るい場所からは暗い場所はみえない。が、明るい場所にも暗い場所は残されている。明るすぎて見えないだけ。

そう、田舎の人と都会の人の大きなの違いのひとつは「隣にどんな人が住んでいるか知らなくても気にならない」点でしょうか。

田舎の人は大抵気になると思います。人が少ないうえに、人間関係が固定されていますし、関りが首都圏よりありますから、要注意人物なのか、そうでないのかが大切なんです。悪い人はいつも<悪い人>ではなく、良い人のときもある。

また良い人もずっと<良い人>ではなく、ふと<良いとは言えない人>に変わったりしますから、注意を払う必要があるのです。

母はこのことを
「魔がさす」
と呼んでいました。

もちろん、私だって<よいとは言えない人>になります。自分の力だけでは<よいとは言えない人>のままであっても、他人の目があれば正気に返ることだってできます。


おまけ
「故郷は遠くにありて思うもの」
近すぎればおっくうだし、遠すぎれば懐かしい。


1日1にっこり。 たまに違う「ほっこり」でないものも書きますが、よろしくお願いします。「いただいたサポートはノート内で使う」というポリシーの方を見習い中です。