ゆゆ式におけるコミュニケーションの失敗—きららファンタジアでの事例を中心に—
本記事は、ゆゆ式Advent Calendar2022の17日目の記事です。
執筆・公開をしたのは2023年の晩秋となり、約1年の遅刻となりましたことを深くお詫び申し上げます。当方の不手際が招いた事象ではありますが、本記事を完成させて公開させたことに免じて、ご容赦いただきたく思います。
さて例年の通り、今年も12月1日よりゆゆ式Advent Calendar2023が始まります。参加資格等はございませんので、関心がございましたら奮ってご参加ください。
はじめに
コミュニケーションの失敗とは
「コミュニケーションの失敗」は、日常のあらゆるコミュニケーションの場面に潜んでいる。
友達との会話、ご近所さんとの挨拶、仕事の上司や取引先との伝達・商談、講演会や授業の場など、どんなときにも起こり得る。
学術的な裏付けや定義のあるものではないため、まずここでその意味を確認する。
そもそもコミュニケーションとは、言語などを用いた双方向の情報伝達である。一方からの発信に対し、相手方から何らかの応答(responseあるいはfeedback)がなされ、それに対しまた応答を行うことを、何度か繰り返すことである。また、この応答は、発信者に対し予期されたものか、そうでなくても環境からして適切なものでなければならない。
コミュニケーションは、一方からの発信を端緒とし、終了は、双方が相手に十分な情報を与え、または相手から十分な情報を得ることができたときになる。
ここでは、こうしたコミュニケーションの過程において、応答が適当でないために、双方に認識の齟齬が生じたり、以降のコミュニケーションが中断してしまうようなことを「コミュニケーションの失敗」と言う。別の表現として、「ミスコミュニケーション」と言う言葉もある。
似た言葉に「ディスコミュニケーション」というものがある。これは、ここではそもそもコミュニケーションが機能していないこと、例えば一方のメッセージの発信を相手が受信できていなかったり、言語が違うことなどにより意味を理解することが不能であったりすることとする。
例えば、コンビニで買い物をしたときのことを考えてみる。
会計の際に、店員から「レジ袋はどうしますか」と聞かれたのに対し、客がイヤホンなどをしていて聞こえていない場合がある。これは形式的な会話すら成立しておらず、後者のディスコミュニケーションに当たる。
しかし、店員から「レジ袋はどうしますか」と聞かれて、客が「現金で」と答えとする。店員からのレジ袋購入の可否の質問に、客が適切なタイミングで支払方法を返答すると、会話という形式は成立しているが、双方が目的を達成できず、その後のコミュニケーションが滞る。このような場面をコミュニケーションの失敗と呼ぶ。
普段のコミュニケーションにおいて、こうした失敗が生じることは多くはなく、生じたとしてもその後の情報伝達に影響を及ぼさずにリカバリーできる軽微な失敗にすぎないものが大半である。
それは、共同体においては、そうした失敗を避け、円滑に情報伝達を遂行するために、何らかのルールが設定されているからである。大規模な社会においては、文法として言語の中にシステマティックに組み込まれていたりするし、少し小さくなれば慣例として目に見える形で定着していたりする。更には、数人の家族や友人グループにもこうしたルールは存在し、特定の人物を指すあだ名や、お決まりの「フリ」などもそのひとつである。
コミュニケーションの失敗は、特に規模の小さい共同体の中で生じづらい。それは、全ての構成員がルールや必要となるバックグラウンドの情報を全て共有しており、そのルールの内側での振る舞いに慣れているからである。ゆえに、こうした小規模共同体における大きな失敗の事例は、注目に値するものである。
本稿の趣旨
本稿では、ゆゆ式におけるコミュニケーションの失敗について扱う。
前述のように、数人規模の間で行われる日常的なコミュニケーションには、失敗が生じづらい。特にゆゆゆ3人のコミュニケーションは、そうした失敗がほとんど生じていない、(成功した)コミュニケーションの中身が作品の中心となるからだ。
そこで本稿では、通常の環境下でないところで行われた3人(を含む人ら)の会話として、『きららファンタジア』におけるシナリオを取り上げる。コミュニケ―ションで失敗が起きやすいのは、外部環境が通常と異なったり、別の人物がそのコミュニケーションに参加したりするときだからだ。
本稿は、『きららファンタジア』メインシナリオ第1部7章「エトワリア学園情報処理部」のストーリーを中心に、失敗したコミュニケーションに焦点を当て、ゆずこ、唯、縁の人物像について理解を深めることを目的とする。
『きららファンタジア』を遊んだことがなかったり、ストーリーの内容を覚えていなかったりする人向けに、7章のストーリーを一部取り上げる。
また、加えて原作におけるコミュニケーションの失敗例についても見る。もとより、ゆゆ式は3人の間でほとんど失敗は生じない。あるいは、一見生じたように見えても、次の会話へと繋げ、失敗を失敗とせず、より楽しい方向へと昇華する。そうしたことから、今回取り上げられるのはわずか2例に過ぎない。なお、この2例についても本当に失敗してると言えるのかは読者により見解は様々であろうが、今回は見識偏狭ながら筆者の判断で取り上げた。
なお『きららファンタジア』には、メインシナリオ以外にもキャラシナリオ、イベントシナリオ、作家シナリオなどがあり、また本稿で扱うメインシナリオにも、上のような切り口で見るために割愛した部分もある。その余については、他の機会に譲ることとしたい。
「エトワリア学園情報処理部」
これまでのストーリー
『きららファンタジア』第1部「封印されし女神」は、神殿でエトワリア世界を統治する女神が、右腕である筆頭神官アルシーヴに封印される事件を目撃したランプが、女神の封印を解き、世界を救うために、伝説の召喚士を探しに出るところから始まる。
伝説の召喚士とは、女神の観測する聖典(まんがタイムきらら)の世界から、クリエメイト(各作品の登場人物)を召喚する魔法「コール」を使える者のことである。辺境の村までやってきたランプは、倒れているところをきららに救われたが、彼女こそが伝説の召喚士であった。
きららとランプらは、アルシーヴに仕える七賢者からの襲撃にも屈しなかったが、6人目の七賢者・ファンネルの策略により、きららが狙い討ちされ石化してしまう。しかし、ランプの強い思いにより、きららの石化を解くことができ、アルシーヴの来襲にも返り討ちすることができたのだった。
いつもの日
第7章「エトワリア学園情報処理部」は、これまでのストーリーから一変し、ランプ、きらら、ゆゆ式の登場人物、そしてハッカ(七賢者の1人)らが高校生活を送っているところから始まる。
まるで、ゆゆ式の世界にそのままきららやランプが入り込んでしまっただけの、封印や戦闘などといった空気が一切ない、なんてことない学園生活を送る面々。
変わったことと言えば、5日後に遠足へ行くらしい、ということくらい。遠足委員のハッカによれば、行先などは不明らしい。
ランプやきららの年齢は不詳だが、この世界の設定では高校2年生ということらしい。
ランプは、行き過ぎたぐらいの聖典オタクである。聖典やその登場人物に並々ならぬ敬意を持っており、全員様付けでないと気が済まなかったり、事あるごとにひれ伏したりなど、突飛な行動にもつながる。
こうして、きららやランプと、ゆゆ式のメンバーがうまく溶け込んで、ひとつの高校の中で日常を送ることになる。
部活の時間だっ!
エトワリア学園だけれども、3人はいつも通り情報処理部としての活動をする。インターネットやパソコンはないはずだけど。
きらら、ランプそしてハッカという”ゲストキャラ”がいるという理由もあるだろうが、それぞれの絡み方がやや”お客様相手”の節がある。なお、他のストーリー(イベントシナリオなど)で1人で登場する場面もある。普段と違う集団の中で言動はどう変化するか、なども見ることができる数少ない機会である。
設定上は高校2年生だが、ランプは明確に年下扱いされてると見てよいだろう。一方きららに対しては、遠慮があるのか、年下扱いなのかはよく分からない。
もうカチコチです
トラブルが発生し、きららがクロモン退治に奔走することとなる。
仕事に追われ、少し休憩と言って座り込んだところですぐ眠ってしまったきらら。
そこへ縁とランプが登校して来て、事情を尋ねると……
ゆずこが冗談で「きららちゃんの身体が石になっちゃった」と言うと、突然ランプが泣き出してしまった。
このとき、ランプらは一種の洗脳状態にあり、夢のようなものを見ているのだが、ランプの心には、「きららが石になる」という事象に対し訴えかけてくるものがある。
それは、ゆずこらと出会う前、フェンネルによりきららが石化されてしまった事件があったことによる。そのとき、普段は魔法も満足に使えないランプが、きららを助けたいという強い気持ちにより、無意識に魔法の力を出して、きららの石化を解くことができたのだ。
ランプにとって、「きららが石になる」というワードは、いわゆる「地雷」であったのである。
思わぬ地雷を踏みぬき、3人は一瞬狼狽えるが、ランプをなだめ落ち着かせようとする。
思わぬ事故であったが、その場は丸く収めることができた。
なお、このときランプが覚えた違和感(涙を流してしまった理由が分からない)がストーリーの核心を突くのだが、本稿はそこへは踏み込むことはしない。
明日は遠足
次の日、いつも通りのようにみんなで集まっているところで、突然ゆずこがランプだけを連れて教室を出ていく。
前日にランプが泣いてしまった後、千穂含めた4人がどのような話をしたのかは不明だが、きららに言うべきか言わないべきか、あるいはどうやって話すか相談したのだろう。
きららには前日あったことを説明している一方、ゆずこもランプだけを連れ出して、悩みを聞くという流れにする。
きららとランプを、うまく空間的に切り離してそれぞれと話したいことを話すという目的を達成できたのだ。
ランプが非常に懐いてくれているということもあるが、重い空気にせず、心配されているということを気負わせず、悩みがあるなら、言えるなら聞くよと相談しやすい環境を整えている。
この後、きららとランプはおかーさんと話すなどして違和感を確信し、この世界がハッカによって作り上げられたものだと気付く。
ハッカとの戦闘を終え、ゆゆ式の世界へと全員を帰すことができる、というストーリーになっている。
小括
ゆずこらとランプの間で生じたコミュニケーションの失敗とは、まさにランプが泣き出してしまったことだ。ゆずこが発した冗談に、通常では予期しない反応が返ってきたことで、その後の会話の方向も全く変わってしまった。
この失敗の根本原因は、ゆずこらが、きららとランプの間の事情について承知していなかったことにある。設定上、きらら、ランプらはゆずこらと以前からの知り合いかのように進んでいるが、そういう情報を知らないことは当然である。
そんな中で、ゆずこらは即座にランプをなだめ、落ち着かせる方向にシフトし、場を和ませることも言ったりした。また、翌日にはランプとは1対1で相談する場を設け、同時にきららに心配をかけないように顛末を伝える場を整えた。こうした機転の利く対応からは、彼女らのその種の能力の高さがうかがえる。
原作における事例
3巻54ページ
体育でやった球技から、千穂とボール→おっぱいということでゆずこが振ったが、当の千穂も反応に困ってしまったシーン。一瞬の沈黙が生じたところで、ゆずこが無かったことにした。
時期で言うと2年生の5月で、この後に同じ話の中で佳が唯にお金を借りる。ゆずこと千穂が本屋で和解したのは1年生の6月だが、部室に招くのは2年生の9月(同じく3巻の90ページ以降の話)。距離感が最新(2年生3月)に比べるとやや遠いのかもしれない。
また、メタ的な分析を加えるとすれば、3巻時点はまだ直接的な下ネタが多く、その流れもあってのゆずこの発言に、千穂がついてこれなかった可能性も考えられる。
6巻20ページ
この前の体育の授業で足首を捻ってしまったゆずこを心配し、千穂が声をかけるシーン。まず、心配してくれた千穂にちょっと面白おかしく返そうと巨人の効果音付きで地面を踏むも、千穂は困惑。重ねて、既に怪我は心配なく元気だということを、内面の美しさと一緒に自負しているという形で伝えたゆずこ。後者について否定されるツッコミを期待したが、納得されてしまい、思ったような返しにならず微妙な反応になってしまったという内容。
最初にやや失敗したところをリカバリーしようとするも、さらに失敗を重ねてしまったというもの。
時期は2年生の4月で、前述の3巻54ページよりも1月だけ前。この話以外で2年生の4月に千穂と会話した描写があるのは11巻31ページからの話のみである。
小括
今回は、明らかに失敗しているという事例のうち、3巻54ページと6巻20ページを取り上げた。
そもそも、はじめにで述べたように、ゆずこらは少しの失敗ならリカバリーを簡単にしてしまうため、事例として限りがある。この他に失敗が明らかな例として取り上げられる可能性があったのは、原作全体を概観した限りでは5巻24ページのみであった。しかしその事例は、縁の話にオチがつかなかったというだけの内容であり、背景事情や外的環境に影響を受けていないと考えられるため、除外した。
以上の経緯から、今回取り上げた2例がチェリーピッキングしたものではないことを申し添えておく。
そして、ここで取り上げた2例に奇しくも共通するのが、2年生の初めの、千穂に対してのコミュニケーションで失敗を起こしているということだ。まだ、ゆずこらと千穂の間で関係性が円熟しておらず、接し方も若干手探りな時期だろう。しかし、1年生で顔見知りになり、2年生も同じクラスでいくということで、更に仲を深めていく過渡期に起きたことだ。
また、失敗が生じた会話の内容は、下ネタであったり、(簡単な)ツッコミ待ちのパスであったりと、普段のゆずこらの会話で頻出するパターンである。その”ノリ”でそのまま千穂に向かったところ、千穂がうまく返せずにこけてしまったのだ。
この後時間を経て、千穂との会話が多くなると、千穂が会話に入っているときは、今回とは違うパターンが多くなる。ゆずこらは、こうしたいつもの3人のノリや別のパターンを千穂との間で試行錯誤しつつ、千穂用のコミュニケーションの取り方を探っていったのだろう。
まとめ
これまで、ゆずこらが遭遇したコミュニケーションの失敗の事例を見てきた。ゆゆ式に関するコミュニケーションは、双方が求める情報の交換という事務的なものではなく、相手を楽しませようという高度な目的のもと行われている。したがって、相手の好き嫌いや触れられたくない部分、笑いのツボなどといった情報を十分に把握していなければならず、そうした情報を得れる関係性、さらに性質上相手を”イジる”こともあるわけであるから、それを悪意に受け取らない信頼も構築していなければならない。そういう事前の環境が整っていなければ、コミュニケーションの失敗を引き起こしてしまうのは半ば当然のことである。
こうした環境の不備による失敗は、現実世界でもよく起こる。既にできているコミュニティやグループに、新しい人が入ったりすると、それまでの内輪ノリが通じず、新しいパターンの内輪ノリが成立したり、あるいは軋轢を生じさせることもある。
そうした変化する人間関係のリアリティも描かれている点で、やはりゆゆ式の完成度の高さは注目されよう。
また、今回取り上げたきらファンのシナリオ、原作の事例ではともに、ゆずこが失敗している。それは、ゆずこがアグレッシブな会話の組み立て方をするために起こる事故ではあるが、ゆずこがそのような動きを見せるのは、普段の3人でいるところというのが基本ではある。きらファンの場合では、ランプは3人のよくするやり取りも熟知しており(実際に追加の”ボケ”として輪に入れている)、既にゆずこらと仲が良いという設定になっていた。また原作の方でも、まだ距離感は多少探りがちではあったものの、千穂はゆずこらが普段どういう会話をしているのかはある程度知っていた。両者とも、そういう特殊な事情があったために、ゆずこの言動のアグレッシブな面が裏目に出てしまっただけに過ぎない。
また、唯や縁がそういう失敗を必ず起こさないというわけではない。3人の中での役割として、ゆずこはそういう役回りを担当しているため、失敗する確率が高いだけだ。
以上これまで、コミュニケーションの失敗の事例を扱ってきた。これは言葉選びが悪いのかもしれないが、失敗は決して悪いことではない。むしろ、新しい人間関係を構築するに当たり、接し方や距離感を試している過渡期にどうしても生じてしまうものであり、かえって重要なものと言える。
読者は承知の通り、佳はゆずこら、特に唯とは当初はかなり距離を取っていた。後から振り返ればそれは誤りだったと気付くが、それがなければむしろ最新のように仲を深められなかったかもしれない。雨が降った方が、地も固まりやすくなるだろう。
何度か言及したが、ゆずこ、唯、縁の3人の間では、失敗というのはほとんど生じ得ない。それは、失敗をリカバリーするのが上手いだけでなく、そもそも危険球を投げない、投げそうになったら自分で思いとどまれるからだ。これは3人の特別な関係ゆえのものだが、しかしこの関係を構築するまでに幾度となく失敗はしてきたはずだ。彼女らは、そういう失敗を経て互いに信頼できる関係を築けた、人間関係の完成型であると言える。このことが、ゆゆ式のゆゆ式たる所以である。