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週末、フォルケホイスコーレでいとエモし。
こんばんは。つながり探究家みづきです。
(「ず」ではなく、「つ」に濁点です!←名前のこだわり)
はやいもので12月ですね。
11月に参加した2泊3日のリトリート合宿の記事を途中まで書いて、力尽きていました…。
ようやっと最後まで書いたので少し時差がありますが公開します。
週末、人生を問い直すフォルケホイスコーレへ
先月、2泊3日の週末フォルケホイスコーレへ参加してきました。
このプログラムは、わたしが7月に留学したイギリスのシューマッハ・カレッジとデンマークのフォルケホイスコーレのプログラムを融合したリトリート合宿。
わたしは今回主催メンバー&参加者でもあったので、早めに湯河原へ向かおうと窓の外を観ると台風のような大粒の雨。
「こりゃすぐ出られないな…」
と思い、愛犬を預ける予定の友人にメッセージを送る。
「駅まで送っていくよ!」と友人から愛に溢れたメッセージをもらって、一瞬失いかけた外出るモードを整い直し、無事愛犬とともに友人の車に乗り込んだ。
最寄り駅に着くころには雨もやみ、電車に揺られる。読んでいた本から目を離し、車窓を仰ぐ。小田原を抜けると眩しいくらいの日差しが車内に差し込んだ。
「ほら、わたしはやっぱり晴女。」
隣に座るパートナーに得意げに伝え、心は修学旅行前のようにワクワクしていた。
涙のパーソナル・ストーリー
参加者が全員集まったのは、すっかり日も落ちた夜の時間。全員夕食とお風呂を澄ませて、畳の上に円を描くように座った。
1日目の夜のプログラムは、「パーソナルストーリー」。
これはシューマッハ・カレッジで体験したプログラムだ。
自分とのつながりを思い出す「大切なもの」を1つ持ち寄って、そのものと自分とのつながりをみんなにわかち合う時間。
参加者それぞれが持ち寄った「大切なもの」から見えてくる固有の物語。その人が生きてきた人生。
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5年間、毎日欠かさず夫との食卓に並べている献立表を持ってきた人。
2歳で亡くなった父親が、「20歳の誕生日に渡してくれ」と贈ったネックレスを持ってきた人。
母の遺骨で創った碧く輝くダイヤの指輪を持ってきた人。
人生の転機に旅のお供となった「アルケミスト」という一冊の本を持ってきた人。
どのパーソナルストーリーも語りながら自然と感情が溢れるくらいに、ものと、人と、その人の大切な人や想い出がぎゅっと詰まっていた。
そしてそのどれもが、優劣なく一様に美しい。
まるで1つ1つが壮大な映画のように、濃密で、心揺さぶられた。
わたしはやっぱり「個々の人生の物語」を聴くのが好きだと思った。
つながりと全体性を取り戻す
2日目のプログラムでは、ファシリテーターとして「つながりと全体性を取り戻す」プログラムを担当した。
わたしは主にシステム理論のパートを担当することになった。
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「世界はシステムで動く」という書籍に出逢って、わたしの世界の捉え方は大きく変わった。
これまでは、「自分は自分、他者は他者」とアドラー心理学でいうところの課題の分離をモットーに生きてきたわたしにとって、「すべてはシステムであり、相互作用しながら成り立っている」という世界の前提は、まるで天動説から地動説への大転換のような衝撃があった。
システム理論を前提とした世界の捉え方を、わたし風に言うと「つながりの世界」。
わたしたちは誰だって、1人で生きているのではなくつながり合ってすべてが成り立っている。
親がいなければ子は生まれないし、子がいなければ親にはなれないように。
北極南極で氷が解け続けると、めぐりめぐって日本の冬が温かくなったりするように。
わたしが一番伝えたかったのは、
自分が動けば世界が変わるし、世界が変われば自分も変わる。
というメッセージだった。
世界はシステムで出来ているという前提に立てば、どんなに小さなことでも、一見意味が無さそうなことに思えても、自分が行動することで必ず世界に変化をもたらしている。だからわたしたちは無力じゃない。1人1人に力があるんだ、ってことを伝える時間となった。
もちろんこの時間も、レクチャーだけではなく、実際に身体を動かす「システム・ゲーム」や「指先ダンス」をしながらつながりの世界を体感していった。
みんなのほっこりした表情が見れて、初めてのシステム理論レクチャーで少し力んでいたわたしは、ほっと胸を撫で下ろした。
デンマークのホリスティックな人間観
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みんなでランチをして、午後からは参加者として参加をした。ファシリテーターでない時間は参加者として参加できることも、この合宿のすごい良いところだな、と実感した。すべてのプログラムを1人でやろうとすると、どうしても「先生」「受講者」という役割とランクの差が生じてしまう。
参加者でもあり、ファシリテーターでもあることができるこのプログラムは、共に創ることで全員が対等につながれる心地よい場だった。
午前中のワークをやり切ったわたしは、参加者という役割を羽織ってワクワクした気持ちで参加した。新たな学び自体が大好きわたしにとって、この上ない贅沢な時間だ。
午後のプログラム「救出ワーク」は、デンマークの7年生が実際に行っている授業。
【ワークの設定】
日本で外国人含む7人が過激派テロ集団によって拉致され、洞窟に閉じ込められている。
その洞窟には満潮が近づくにつれ海水が流れ込む。確実に助かるのは半数の人質のみで、全員が助かる可能性は極めて低い。そんな中で誰から救出するか?の優先順位を決め記者会見で発表せよ。
配られたワークシートには、7人の人質のプロフィールが書かれている。中には子どもや妊婦の女性をはじめ、世界的ながんワクチンの開発者やスウェーデンの首相など要人と呼ばれる人質もいる。
ただでさえ、人のいのちに優先順位をつけるなんて難しいのに、社会的インパクトを考慮しなければならないタフなワークだった。
嫌でも優先順位をつけないといけないこのワークでは、自分の中にある無意識の偏見が浮き彫りになる。誰を優先するか?というセンシティブな問いは、自分の内側にある前提をあぶり出す問いだな、と感じた。
デンマークでは、「メネスカシュン」という考え方があり、4つの視点で人を観ることを大切にしている。
・社会的(社会の中での役割)
・肉体的(身体機能)
・文化的(宗教、地域)
・精神的(マインド、ハート)
1つの視点だけで人をジャッジするのではなく、多様な側面をみて関わりを持つというホリスティックな人間観で人と関わる重要性を説く時間だった。
感情的になるとついつい1つの側面だけで「その人」を判断してしまいそうになるけれど、俯瞰して4つの視点で捉えなおすことで対話が生まれるきっかけになるかもしれない、とぼんやり思いながらメモに書き起こしていた。
『すべての人はアーティスト』
みんなで夕飯を済ませ、お腹も満たされ飲みながらぼうっとしている時間にテレビから米津玄師さんの「地球儀」が流れていた。
それを流しながら、アート好きな友人が地球儀の制作秘話をシェアしてくれた。
「米津さんは、「パプリカ」制作の際に、「本来応援されるべき子どもが応援ソングを歌う」というパラドックスな構造に悩んでいたらしいんだけど、そんな時に宮崎駿監督のインタビューやドキュメンタリー番組を観ながらたどり着いた答えが、「子どもを舐めない」という結論だったんだって。そんな想いで制作した「パプリカ」を宮崎駿監督が歌っていたところを、ジブリプロデューサーの鈴木敏夫さんが観て、それで米津玄師を紹介して、君たちはどう生きるかの主題歌"地球儀"につながったってラジオで言ってた!」
そんな制作秘話を聴きながら、みんなで黙って地球儀を聴いているその時間が心地よかった。満たされたお腹と、温泉後のあたたまった身体、耳障りの良い音楽に包まれながらのひと時は、わたしにとって至福の時だった。
この偶発的な時間が場の前兆になり、わたしたちは詩のワークに誘われていった。
シートの上にぱちぱちと焚火のように鳴るキャンドルを灯し、みんなでまあるい円になった。
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詩好きが講じてファシリテーターとしてのお役目をいただき、場をゆっくりとひらいた。
シューマッハ・カレッジの創設者サティシュは「すべての人はアーティスト」という言葉を贈ってくれた。
『芸術とは、一部の人のためだけのものではない。芸術家とは「つくる人」のことだ。わたしたちは、野菜を料理し美味しく変身させることができる。家を建てることもできる。赤ん坊を抱くことも、大切な人にハグやキスをすることもできる。わたしたちは、この2つの手で、奇跡のような何かを生み出すことができる。だからすべての人はアーティストだ』
そして、詩は、何も持たなくても生み出せる。
わたしとよしこちゃんがこの場のために選んだ5つの詩を朗読し、
静かな時間を取って自分の内側を感じる時間をとった。
そしてそれぞれが、ただただ湧き上がる言葉を綴り、ジャーナリングして表現する。
内側のあいまいさを掬いあげ、ことばにする。
この詩の創作ワークで、「I'm so lucky.」という詩を生み出した人がいた。名前はKさん。
Kさんは旦那様がアメリカ人で、毎日「I'm so lucky you have in my life.」
と旦那様に言ってもらっている、とはにかみながら教えてくれた。
そして彼女の詠む詩もまた、可愛いわが子の寝顔や、支えてくれるパートナーとの日常のうつくしさを描写した詩だった。
わたしは彼女の詩から大きな愛を受け取り、目に涙を浮かべた。
日々感じる心を潤わせ、些細なうつくしさに気付くことができれば。こんな素敵な詩を、誰だって生み出せる。そんな場を目撃して魂が震えた。
それぞれが自分とつながり、他者とつながる、愛と涙に溢れた時間だった。
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その日は深夜のテンションが覚めやらず、よしこちゃんと深夜3時まで語らいあった。お互いのストーリーを、話し、聴くその時間は寝るのも惜しいくらい尊い時間だった。
対話に夢中になっていつの間にかコップの水は空になっていた。
時計を見ると深夜3時をまわっていた。
「さすがにしゃべりすぎて喉乾いたね」と笑いながら、それぞれの部屋に戻った。睡眠時間は短かったけれど、朝起きると目覚めはすっきりとしていた。
あっという間に最終日。
最終日は片鼻呼吸法、TM瞑想、アーユルベティックアートのプログラム。
湧いてくるものをただただ流し、
湧いてくるものを表現する。
このプログラムはフォルケホイスコーレ由来だけど、
サティシュの言葉「すべての人はアーティスト」同様、絵も誰だって描いていい。
この3日間のことばを自由に描く時間。
わたしが選んだ言葉は「Pure」。
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この3日間、場の中心を担ってくれたよしこちゃんのイメージを描いた。
彼女と3日間過ごしてわたしが受け取ったのは、清らかで透き通ったエネルギー。彼女といると、不思議と自分が整っていく。
彼女自身が感動した景色や、出逢った人、言葉が背景にある彼女の表現は、まるで砂漠の中の水のように目の前の人を潤していく力があると思う。
わたしは彼女が何かを発するとき、まるで昨日のことのような鮮度で語られるそれにいつも瑞々しさを感じている。
それはきっと、彼女の感じる心が潤っているからなんだと思う。
そして世界のうつくしい景色を観て、感じて表現するプロセス自体が、彼女自身の喜びにつながっているからだとも思った。
彼女の中に確かににある「美しさへの喜び」に触れながら、清らかな彼女といるとわたしまで清らかに流れていく。
彼女は、内側に純度の高い水を持っている。
そんな彼女をイメージしながら色を重ねていると、彼女の名前の由来も「清らかな水」だったことに気が付いた。名は体を表す、とは本当なんだな。
と同時に、名づけという行為が愛おしく感じた。
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それぞれのグループで自分の絵をシェアしあい、ニーズカードを用いて絵や3日間のその人と過ごす時間で感じたことを、カードを通じて贈りあう時間もとった。
わたしは贈られた言葉たちを受け取って、くすぐったいような、嬉しい気持ちが溢れた。
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特に嬉しかったのは、「真価の承認」「本物であること」というカード。
わたしは「その人がその人である瞬間」を目撃するのが好きだ。
本当に満たしたいことを表現している瞬間。
湧き出るものにただただ動かされている瞬間。
その人を通じてしか現れ出ない世界に出逢った瞬間。
そういう瞬間を、わたしはうつくしいと感じる。
そのわたしの美意識が、出逢って3日間しかともにしていない他者にも伝わっているんだな、ということが嬉しかったし、自分のことって他者の方がよく見えるよね、という有難い事実も再確認した時間だった。
受け取ってくれてありがとう。伝えてくれてありがとう。
そんなやわらかな光に包まれるような気持ちに浸っていた。
3日間を通じて得たものとは
不思議な感覚だった。
たったの3日間。あっという間だったような気もするし、とっても長い夢を見ていたような気もする。
それくらい、感じる瞬間が多い合宿だった。
日々忙しなく時間に追われていると、いつの間にか、感じる時間が少なくなっていく。
真っ青な空がうつくしいことを。
瑞々しく揺れる葉がうつくしいことを。
流れる川のせせらぎがうつくしいことを。
絶妙なバランスで生成するこの地球がうつくしいことを。
家族とともに過ごすなんでもない時間がうつくしいことを。
人と人が調和しあい、手を取り合う姿がうつくしいことを。
感情が溢れて流す涙がうつくしいことを。
自分という存在がうつくしいことを。
今回のリトリート合宿、わたしにとっては「世界のうつくしさ」を感じる時間だった。
喧騒から少しだけ間をとって。
自分の心を潤わせる。人と人とが触れ合って、つながりを取り戻す。
それがどれだけ価値があるものかは人それぞれだけれど、
わたしにとっては、この感じる心と引き換えにどんなものでも手に入ると言われても断るくらいに価値がある。
日常に彩りを取り戻したい人にもっともっと届いたらいいな。
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次回以降の本リトリート合宿やワークショップはこちらでご案内していきます。もし、この記事を読んで気になった方はご登録の上、次回のお知らせをお待ちください。
また、1/14(日)に、「体感de自己理解ワークショップ@オンライン」を開催します。
感じる心を取り戻したい方、ぜひご参加ください。
週末フォルケホイスコーレのソース、よしこちゃんの企画もぜひ!
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![みづき @コーチ/アートセラピスト](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/96763175/profile_3a2a6476c7a44721d2af599695c7e6f8.png?width=600&crop=1:1,smart)