私がコーチングを届けたい理由。
大切な人を、大切に。そのために、"じぶん"をいちばん大切に。
これが、私がコーチングを届けたい理由です。
私は、ひとりひとりが自分自身を満たすことができれば、人はもっと創造的に、そしてやさしさでつながれるんじゃないかと本気で思っています。
「誰かのために」手を差し伸べるためには、自分に対しても手を差し伸べ、ご自愛できることが土台にある。その先に、本当の意味でのやさしさがあると信じているのです。
これには原体験があります。少し長くなりますが、この記事を読んでくださっている方は何かのご縁かもしれません。少しばかりお付き合いください。
私は、物心ついたころから何かとボランティア活動をしていました。
小学生の頃も、積極的に知的障害をもった子どものお世話をするボランティア活動に参加しました。周りは大人の人ばかり。小学生ながらにそんなボランティアをする子どもは稀だったようで、大人たちに囲まれながら、彼らにどんな関わりを持てるのか本気で考えていました。
大学生の時には、カンボジアの農村での衛生教育のボランティアや、日本からカンボジアの日本語学校書籍を届ける活動、日本在住のASEANの留学生たちとキャリア/アカデミック/スポーツのイベントを創るボランティアや地雷撤去活動を支援するNPO団体など、とにかくいつも「誰かのために」自分の時間を費やしてきました。
そうすることで、自分自身が満たされていたのです。
これは、一見よいことをしているように見えるかもしれません。一方で、私の内側はどこか依存的でした。私自身が自分起点で満たされていなかったからこそ、外側から欠片を埋めるような、そんな感覚がついてまわりました。
中学生の時に両親が離婚し、シングルマザーで育った私はいつも「愛」を求めていました。本当は親から貰いたかった愛を、男性(彼氏)やボランティア活動に求めてがむしゃらに過ごしてきました。
自分を蔑ろにして、後回しにして、外側から承認されることで、自己肯定感を満たしていたのです。私はずっと自分のことが好きじゃなかった。自分にコンプレックスがあることは認識していましたが、当時は、ここまで自分の欲求の構造を言語化できていませんでした。(自分が愛なし型だったとわかったのはもっとずっと後のことでした。)
ちなみに「愛なし型」というのは「ザ・メンタルモデル」という書籍からの引用です。
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そんな私が、真正面から自分と向き合うきっかけとなった経験が二つあります。
一つ目が、社会不安障害(会食恐怖症)になったこと。
二つ目がいわゆる毒親だった父の死です。
具体的なエピソードについては長くなるので、リンクしてある別記事を読んでいただきたいのですが、この二つの経験は、いやでも私が自分自身の弱さや痛みと向き合い、それも含めて自分だと受容せざるを得なかった経験となりました。
他人からの承認を求め、必死に闘っている自分や、傷つかないために嫌な記憶を奥底に厳重に鍵をかけてしまいこみ、明るく振る舞う自分が間違いなく存在していることに気付かざるを得なくなった、貴重なきっかけとなりました。
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私は幸か不幸か、これら経験を通じて、自分の内側にひっそりと隠れていた痛みや、弱さや、根底の価値観や、限りある時間で大切にしたいことといった芯の部分と向き合うことになったのです。
無意識に潜んでいた自分のパンドラの箱をひとつずつ紐解いていったとき、ようやく私は、飾らない、無理をしない、ありのままで等身大の「本当の自分」を受け容れ、深い部分でつながることができたように感じました。
その過程には、多くの痛みや、涙がありました。見たくない記憶や、想いや、葛藤と向き合い、それらに自分であたらしく意味づけをしたのです。その繰り返しで、私は自分のリソースのすべてと対話し、打ち解け、つながる(統合する)ことができたんだと今となっては思っています。自分の内側には、驚くほどたくさんの自分が存在していました。
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この暗くて深い海の中を彷徨うのには、勇気がいる。そして、時には涙を流し、苦しいこともある。それは、私が不可抗力ながらも直面してきたかけがえのない経験です。
私は外界の環境変化があったおかげで、向き合わざるをえなかったわけですが、問題に直面することを、私たちは避けて生きています。
例えば、「自分は本当に叶えたい世界(やりたいこと)って何だろう」という問いがあったとします。一方で、この問いを深く探求してしまうと、以下のような影響が日々の生活に生じてくるかもしれません。
「自分の心に気づいてしまうと目の前のことが意味のないようなことに感じてしまう」
「目の前のことがそれとは違ったときに、変化を迫られてしまうかもしれない」
「親や友達から変なやつって思われてしまう可能性がある」
私たちの脳は、基本的にラクをしようとしたがります。「手抜き」が得意なのです。その上、変化を恐怖/不安と感じるような性質を持っています。
だからこそ、無意識下で自動的に自分がラクに過ごせるような情報の取捨選択をしているのです。(これは脳科学的に証明されています)
でも、もし、あなたが本当に変わりたいのなら。
私は、コーチングをお勧めします。
コーチングの時間は、自己と向き合うかけがえのない時間だから。
変わるのって、新しいことへの挑戦って、不安ですよね。苦しいですよね。まあ、いっかって思いたくなる日もありますよね。向き合うことを避けて生きたいですよね。
とてもよくわかります。私も、自分を守るためにそうしてきたから。
だからこそ、私はコーチとして、クライアントがありのままの自分(オーセンティックな自己)を取り戻すことができるように伴走したい。支援などと言った大それたことはできませんが、他の誰でもないあなたが自分自身を内側から満たすことができるようになるために、共にありたい。見たくない自分も、その先にあるありたい姿も、旅をするように一緒に探していきたい。
「自分の弱さと向き合うことは怖いけれど、コーチとだったら大丈夫。」
「その先には、必ずあたらしい自分と、やさしい世界が待っている。」
そういう安心感を抱けるような、心強い味方でありたい。私が関わることで、あなたが一歩を踏み出せるように。そんな想いでコーチングをしています。
包み込むような広大な草原や大地のように。
必要な時には支え、自分で走り出すための補助輪のように。
私は、『今この瞬間から、人生の編みなおしをしたい』という方に、コーチングを届けたいと願っています。その想いに、決意には、年齢だって職業だって関係ありません。いつからだって、人生を、自分自身を編みなおすことができる。
大切な人を本当の意味で大切にするには、そして創造的になるには、まず自分自身が「満たされていること」「癒されていること」がベースとなります。これは私が身をもって経験してきた結果言えることです。
それは、勝手に芽が出るよい土のようなものかもしれません。よい土壌さえ耕せば植物は勝手に育ち、いつか花を咲かせるでしょう。
ひとはそれぞれ固有の物語をもっていると信じています。
主人公は他の誰でもない、あなた自身です。
それは善悪や正解/不正解といった二元論で語ることはできません。誰かにとっての成功も、完全も、それは違う誰かにとっては不完全かもしれないのです。
過去は変えられないけれど、今の自分の解釈は変えられます。
その結果、自分の内側で過去が変わることだってあるんです。今と未来は、いくつもの選択肢がある。
今この瞬間から、誰にだって描きたい人生のストーリーを描くことができるのだと信じて、私は今日もコーチングをしています。
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