樋口円香と「言葉」について

はじめに

初めましての方は、初めまして。
お馴染みの方は、こんにちは。
みずちかです。

能動的に最近はコミュを履修することができているので、熱止まないうちに今回も書き進めて行きたいと思います。

今回考察するのは、
樋口円香における「言葉」という概念について
となっております。

このコミュを考察するにあたって読んだコミュは、以下の通りです。
・【ギンコ・ビローバ】
・GRAD

このコミュについてまだ読んでない方は、是非一読してからこの先の考察を読んでいただけますと幸いです。
以下、考察に入ります。


考察の終着点

今回の結論は、
樋口円香の言葉は「繊細」である。
ということである。

【ギンコ・ビローバ】について

このコミュの考察に入る前に、樋口のコミュ全般について軽くお話していくこととする。
樋口のコミュにはいくつか種類があるように私は感じている。
それは、今回の「言葉」についてや、オイサラバエルを筆頭とする樋口の「感性」について等々、「複数のコミュである観点について描かれている」というものである。

その中でも今回は「言葉」について語られている二つのコミュを読んでいった。
この二つのコミュのつながりはわかりやすい。
ギンコで出てきた女の子は、GRADにも登場するし、ギンコで言っていた「願いは叶う」という表現はGRADのコミュタイトルに出てくる。

といったところで、まずは【ギンコ・ビローバ】について考察していく。

ギンコ・ビローバ:銀杏のこと。生命力の象徴。

秋、イチョウ、というつながりがスムーズであったため、私としてはこのタイトルの意味を深く考えたことはなかった。
しかし、考察するにあたって調べた際に、「生命力の象徴」という説明も見つけた。
これについては、のちの考察で使用する概念のため、既出させておくこととする。

ギンコのそれぞれのコミュタイトルは以下のようになっている。
・囀
・信
・噤
・偽
・銀

このタイトルをパッと見た時に感じたのは、Trueコミュを除いて、2-2で対比になっていることである。
囀-噤、信-偽
という二つの対比構造がこのコミュでは成り立っている。

・囀-噤について
この語彙について、さえずる-つぐむ、の対比構造になっているため、
言葉を出す-言葉をしまう、という考え方が出来る。

囀のコミュでは、マフィンを歌いながら作っているプロデューサーに、

「歌いたい時に歌っていいのは、小鳥だけ」

と円香は言う。
これを、上記の「言葉」に置き換えると、

「いつでも言葉を紡いでいいわけではない」

という考え方が出来るのではないだろうか。

噤のコミュでは、映画の試写会を終えたシーンから話が始まる。
ここで円香は、映画の余韻に浸っていたため、カフェの注文がワンテンポ遅れてしまう。

そして、最終的に
「感想を言葉にしなくていいとき、しばらくの間、誰とも話さなくていいときに、そういう映画でした。」
とプロデューサーに伝える。
また、プロデューサーが「大切なもの、好きなものが見つかったら教えてほしい」と言った際には、「大切なものほど話したくない」とはっきり言い切る。

ここからわかるのは、円香にとって「言葉」は

「適材適所があるものである」

ということである。
自分の中にしまっておきたい言葉があるし、それを出すタイミングもきちんとあるはずである、そういうふうに円香は感じているということがこの二つのコミュからわかる。

・信-偽について
この二つのコミュでは、「言葉」そのものの重み、のような概念が現れているのではないかと推察できる。

信のコミュでは、電車に乗っている時に昔のクラスメイトが円香の噂話をしている。
その噂話は嘘であるという円香の発言に、プロデューサーは円香を信じるという返しをしている。
そして、円香の代わりに噂話をしている子たちに怒るプロデューサーに、
「私の代弁者になろうとしないで」
と返す。

これは、円香が、
「他人の口から自分のことを言語化されること」を許していない、
ということを表しているのだと思う。
他人の口から出る自分に対する言葉には、重みがないのだと、円香は感じているのではないだろうか。

それが現れているのが、偽のコミュである。
ここでは、あるアイドルの子に円香が言葉をかけているシーンがある。

「いいから、ゆっくり呼吸して。緊張くらい誰でもするでしょ。大丈夫。」
「そう?知らないけど。アイドルに真剣だからなんじゃないの?落ちてもいいって思えないから。違う?」

と外側から見たら励ましの言葉をかけているように見えるシーンである。
もちろん、円香がかけた言葉は励ましのように聞こえる、円香の優しさを感じるシーンなのだが、円香自身違和感を持っていることが伺える。

他人をわかったような口ぶり、他人の代弁者、と感じてしまう円香は、
プロデューサーに「言葉に誠実」「何を言うのが正解だったのか、今も考えてるんだろう?」と言われて、じゃあそれでいい、と会話を放棄する。

わかったように語る自分の言葉は重みが無くて薄っぺらい。
本当にこの言葉で合っていたのか。
と思考を繰り返す。

この点、
「言葉」は発した瞬間から責任が伴うもの
と円香が感じているのではないか、と私は考える。

【ギンコ・ビローバ】を読んで考えたのは以上である。
そして、総じて考えたことがある。
それは、「沈黙は金、雄弁は銀」という言葉についてである。

この言葉は、
「雄弁であることは大切なことではあるが、それも度が過ぎると要らぬ災いを招いたりして、不都合が起こることがある」
「それに比べれば、沈黙するあるいは間を取ることが、優れた雄弁よりもさらに大切である」

という意味を持つ。

言語化出来ないことは発言しないし、自分が他人の代弁者になるには言葉に重みが無い、と感じている円香にとって、むやみやたらに「言葉」を紡がないことは、沈黙は金という言葉に値するのだと考えられる。

GRADについて

このコミュは、上記のギンコのコミュの続きとなるような場面が沢山ある。
GRADに出てくるアイドルは、まさにギンコで円香が励ましの言葉をかけたアイドルである。
そのアイドルは、円香にとって響く何かを持っていると推測できる。

それがゆえに、バラエティー番組で共演した時に、彼女が自分を卑下して笑いを取ろうとしていた場面で、「笑えない、他の人にも笑ってほしくない」と本心をあらわにする。

それを「失敗」と評してしまう円香に対して、プロデューサーは、
「言葉に正解はない」
と考えを紡ぐのだ。

「軽やかに踊りますね、樋口さんは」と幾度となくこのコミュでは言われるのだが、円香はこれを自分の言葉に置き換えて、
「私の言葉は軽い。重みをもたない」と表現している。
だから、あのアイドルにも言葉の後始末を考えないで発言してしまった、というのである。

言葉には正解がなく、信じて言葉にする、相手に届いて欲しいという思いが大切なんだとプロデューサーが表現している。
それは、円香にもきちんと響いていたようだ。

ギンコで、自分の言葉は偽り(励ましの言葉をかけたのは、願いは叶わないということを教えてあげなかっただけ、という表現がある。)であると言っていた円香が、きちんと自分の言葉に責任を持とうとしているし、向き合っていることが伺える。
そして、「あなたの一歩は軽くない。とても重くて力強い。頑張ろう、お互いに」という言葉をアイドルの子にかけている時点で、「軽やかである」ことと「軽い」ことが違うという認識、「自分の始まりと終わりに責任を持つ」し、そのためには踏み出さなければいけない認識、を持っていることになる。

それまで、自分の言葉に軽さを感じていた、ある種無機質さを感じていたところから、言葉の適材適所、言葉の責任、をきちんと自覚し、向き合えるようになったのである。

結論

というわけで、以上二つのコミュについて考察した。
私としては、もちろん円香が、「言葉に誠実である」と感じているのだが、
「誠実」よりも適切な言葉があると感じた。

それが、冒頭にも書いた、「繊細」である。
言葉に、常に考えを巡らせ、細かい感情についても言語化しようと努める。
GRADでは、アイドルの子への感情を考えている描写がいくつか見られる。
その姿は、誠実というより「繊細」なのではないだろうか。

言語化できないものを発言しない、適材適所を考える、一つ一つの言葉に責任を持つ、という細かいところにまで意識を巡らせている円香は、
17歳にしては、沢山のことを抱えているように思えるが、
しかし彼女が一番等身大の17歳であるとも感じる。

繊細な価値観を持った彼女の「言葉」は、薄っぺらいものではなく、
軽やかに、しかし踏み出すための重さを持った、とても価値あるものなのだと、私は感じた。

ギンコのところで既出させた、「生命力」というところの説明もしておかなければならない。
出すべきところがあり、責任の伴うもの。そうして円香の中で紡がれる繊細な思考は、生きる「言葉」となって適材適所で放出され、責任という重みを伴ったものになる。
軽やかに出された言葉が、責任という重みを伴った、生きたものになるというイメージが私の中で生まれたため、
【ギンコ・ビローバ】というタイトルはとても納得のいくコミュだった。
GRADと併せて、円香の「言葉」に対する価値観が、円香の「言葉」の生命力が、体現されていたのである。

生命はとても繊細なものである、というある種感覚的な概念に沿って考えると、

樋口円香の「言葉」は繊細である。

と定義づけることが出来る。

最後に

今回も読んでいただきありがとうございました。
私としては、熱冷めないうちに書いているので、上手く論理を構築できていない部分があるのですが、思っていることの概要はこのnoteで表現できたと感じております。
一番感じたのは、円香が等身大の17歳の女の子なんだ、ということです。
誰かにかけた言葉が、誰かを傷つけたかもしれない、と思う感情は、きちんと等身大だし、人への優しさを持っている円香だからこそ、たどり着いた表現だったのではないかと思います。
それがゆえに、円香にとって何かを表現する、という行為に対しては慎重になるんだろうなと感じます。
誰のための歌でもない、とLPやバグルで発言していたのも、こういう円香の何かを表現することにたいする繊細さが現れていたんだな…

といったところで、今回のnoteは終わりにしたいと思います。
次回はすぐ上にも書いたように、円香の表現に対する価値観を追っていきたいですね。
この話題が一番円香を理解する上で、コミュの考察が必要だと感じているので。先ほどコミュを読んだ感じでも、キーになるコミュは【オイサラバエル】になりそうです。

では!また次のnoteでお会いできたらと思います!

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