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日記 #97 ヲタクへの僻み

 ヲタクを嫌う風潮は、ヲタクへの僻みから生まれたものではないか。

 古くは金持ちや高学歴が疎まれたように(もしかして、今も?)、30~40年ほど前はヲタクが疎まれる時代だった。たとえば学校のクラスでは、ヲタクっぽい趣味を隠していなければならなかった。ヲタクであることがバレると、たちまち馬鹿にされ、除け者にされてしまう。そういう差別文化が蔓延っていたのだ。

 私は、そのようなヲタク差別文化が薄れつつある時代に青春を過ごした。クラスで大っぴらに趣味をさらけ出すようなことはしないけれど、学校が終われば友人たちと集まってこっそりヲタク趣味に興じた。もっとも、私が学生だった時代は「ヲタク」という言葉が「ゲームや漫画やアニメが好きな人たち」とほぼ同義になっていたから、ヲタクと言ってもかなり大衆的と言える。

 自分語りはこれぐらいにして本題へ。最近になって気づいたのだが、非ヲタクの人がヲタクに憧れる傾向が強くなっている。私の周囲だけではないと思う。なにせ「視聴した映画の本数」を伸ばすために、倍速視聴なるものが流行っているぐらいだ。皆が「私、○○には詳しいんです」という肩書を欲しがっているように観察できる。

 実は皆、ヲタクになりたがっていたのだ。「生きがい」や「趣味」にその身を燃やしている人を見て、憧れていたからこそ、(冒頭に書いたように)僻み根性による差別文化が生まれたのではないか。最近になって、そう思う。

「生きがい」や「趣味」を求めると金づるになる、という話は以前書いた。(日記 #79 https://note.com/mizubuchi_t/n/n35dff9f17d08

 どうか皆さまは、健全な好奇心の炎を絶やすことのなきよう……。

以上

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3/12の作業ログ
作業時間:30分
作業内容:コードネーム[SQ]300文字執筆、細かい修正

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