芋虫日記

 今日は躁転(躁鬱患者の体と心がそわそわウキウキワクワクヤンバルクイナする現象)し、めちゃくちゃ動ける日だったので溜まっていた洗濯と部屋中の掃除をした。

部屋の綺麗さはやはり精神になにかしらの効能を与すると改めて感じた。そもそも私は掃除が別に嫌いでも何でもなく、むしろちょっと好きカモ・・?(べっ、別にアンタのことなんか・・!)なのだが、まあものぐさ与太郎であることと、元来患っている躁鬱のせいで上手く動けない日が(最近はかなり改善されてきたが!パラリラプリプリ〜♪脱糞♪)あったりするため、そこそこに汚い部屋で生活していた。ちなみに洗濯は普通に嫌いである。ダルい上に達成感が得られづらい。その点掃除は部屋が目に見えて綺麗になる。私の部屋は都内ワンルームという文字列の概念の手狭さから分かる通りキチキチのせませまである。なのでコロコロを愛用しているのだが、コロコロは取れたゴミの可視化に長けているのでとても楽しい。落ちている髪の毛に絶望するのもまた一興。絶望とはそれほど悪いことでもないと思わされる。(イタリアの家庭料理、アーリオオーリオの和訳が「絶望パスタ」なのは有名な話だ)

それと、高尾山に行きたいとふと思い立ち、いろいろと検索をかけた。

下半身が脆弱でも山を散策できるのか?とふと不安になった。私は高校の時左アキレス腱を断裂して以来、両足アキレス腱炎に見舞われている。そのほかジャンパー膝に足底腱膜炎、軽度の椎間板ヘルニアと下半身がボロボロのまま生きている。どれも剣道のせいである。創始者は天国にはいないだろう。

ロープウェイなど多様な楽しみ方があるそうなので足の問題は解決した。山を登るにも色んなルートがあるのか……と長野県生まれ長野県育ちらしからぬことを思ってしまった。山がそばにある暮らしと山に登る暮らしは似て非なるものである。

リフトに乗りたいと思った。高尾山のリフトには転落防止のバーがないらしい。危なすぎる。命をなんだと思っているんだ。落ちたら死ぬ。生への冒涜と一緒に落ちる恐怖から誘発された生への執着を再確認できる画期的な乗り物だ。死にたい時訪れるとその気持ちの真価を問うことが出来るのではないだろうか。死ぬ前に一度は乗りたいものだ。春休み中に訪れたい。早起きがマストらしい。生活リズムを整えるいい機会だ。

それ以外は特筆することもなく、趣味を謳歌し、ベットで芋虫のように蠢いた1日であった。1日も多く蠢く日常を送れることを望む。



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