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自堕落なイクチオステガに捧ぐ
まともな皆さん、こんにちは。
日々を真面目に頑張っていますね。学校に通ったり、仕事に行ってお給料を貰ったり、家事をしたり、色々大変ですよね。お疲れ様です。
その裏でじめじめした漬物石の裏側にびっしりついてるダンゴムシみたいな皆さん、こんにちは。
学校は休み、ろくに働きもせず、シンクに皿はたまり、家は荒れ放題な皆さん。何も頑張っていない。お疲れ様という言葉をかけるにはあまりにも相応しくない。
堕落している。坂口安吾もドン引くほど。そんな自分に自己嫌悪しながらも、生活の何かを変えるほどの熱量がある訳でもない。ただ何となく暗闇でスマホをいじって一日を終える。
同じ底辺のTwitterアカウントを遡っては無意識に安心を貪っている。人の失敗で己が救われた気になっている。と同時に他人事ではないという焦燥感に駆られる。胸にふわふわした掴みどころのない、しかし確実な重量を感じる不安を抱えて過ごしているんだろう。
たまにやる気が偶然に湧いて、何かアクションを起こしてみても、今まで自分が怠けてきたツケを直視しなければ前に進む権利すら与えられない現実に、心を砕かれる。そのクセ、人にそこをつつかれるのが嫌で、やっていないからこそ持てる謎の自信、そう、テスト前日の夜に持つ張りぼての自信と同じだ。そんな薄っぺらい自信を自身の装甲にして、他人から自分を守っていなければ自らが壊れてしまう。
自分はダメだと思うことすら気持ちがいい。集客力のある社会不適合者がインターネットに出はってきたのをいいことに、欠点を「社会不適合」という「ネタ」であり、「個性」と言い張っている。欠点でしか他との隔絶したアイデンティティーを確立できない哀れな人間たち。それでいい。私たちはダメで良い。
何をしているんだ。堕落しろ。もっともっと地に落ちていけ。どうせなら、最悪になれ。最悪は自由だ。すべての規範を越えてゆけ。社会を馬鹿にしろ。ろくに出てもいない社会をこき下ろせ。無知でいろ。そのくせ人一倍他人に厳しくいろ。自分が世界の中心だと盲信しろ。
もう、しっかりしなくてもいいのだ。「しっかり」は呪いだ。宵越しの銭なんか持つな。買いたいものを全部買え。んでその後後悔すればいい。金がないなら、寝ていればいい。たまに遊ぶ金欲しさに単発のバイトにでも出かけて、いやいややる気のない労働でもすればいい。どうせ仕事なんて好きでやってるやつなんか一握りなんだから。お前のそのしょうもねえ働きぶりを見て、誰かそれを貶しながらも、心の底で共感、羨望するだろうよ。他人なんか想像よりはるかに怠け者で、浅くて、何より自分に似てるのだ。そのお利口さんな他人は今、とりあえず皮をかぶっているだけだ。
時間にも、仕事にも、人間関係にも縛られず、家で惰眠を貪る。これは果たして、不幸なのか。これは何にも代えられぬ自由ではないのか。自由は幸せなんではないのか。金も名誉も地位もあったもんじゃないが、それさえ捨てちまえば、真に自由になることができる。「世間体」と書いて「しがらみ」と読む。どんなにあがいても、報われるかどうかすらわからない今の世の中の目なんて、気にする必要はない。
生まれてくるかどうかすら、そもそも選ばせてもらえないのだ。後は好きにしたっていいのだろう。産んでくれなんて頼んだ覚えはないのだ。ベネターと一緒に心の釘バットを振り回せ。
他人なんか、家族なんか、知ったこっちゃない。理不尽に怒鳴れ。盗め。けなせ。裏切れ。これからは「超個人主義」の世の中だ。調和なんかどこにもない。他人を蹴飛ばしてでも、私は幸せを掴む。
と書きながら、私は「他人を蹴落としてまで生きていたくない」という念を、ほんの少しばかり心に抱いてしまった。弱い心だ。生き抜く強さがない、柔らかい心だ。
それでいい。人はどうせ悪になんかなり切れない。最悪になんかどうあがいてもなれっこない。なれるもんなら、なってみろ。なれたら赤飯を炊いてやる。
どうせ肝の座ってないお前らのことだ、底に落ち切ることなんかできっこない。底に沈みかけて、気道を埋める水が苦しくて、わたわたと水面に這い上がってくることだろう。
そして自分もそこまで悪くないと、浮かんだ先の陸で思うだろう。罪悪感に溺れていた水の中より、陸の方が呼吸もしやすく、体が軽いことに気づくはずだ。そのうち陸に上がって、さながらイクチオステガのようにゆっくりと、しかし確実に動き出せるだろう。そしてお前は歩き続け、ついには人になる。
いずれ苦しくなって浮上してくるんだ、それまでせいぜい自堕落を満喫していればいい。溺れる同士、健闘を祈る。