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グラフィックデザインとの出会い(1) 図画工作好きが高じて芸大を目指す

少しむかし話を、わたしがどのようにしてグラフィックデザインと出会うこととなったのかを、お話ししてみたいと思います。
はたしてわたしはグラフィックデザインに出会うことが出来るのでしょうか。

正直なところグラフィックデザインを職業にするまでグラフィックデザインというモノを知りませんでした。しかし、とある出会いをきっかけに一気にわたしをグラフィックデザイナーへの道へ誘ったのでした。

夜明け前

わたしが高校生の時、当然インターネットなどなく、今ほど欲しい情報に簡単に手が届くなんてことはなく、深掘りするにも、横展開に物事を見つけることも簡単には難しかった時代でもあります。何かを見つけるには本屋さんくらいしかなく、たまたま家の近所に割と大きめな本屋さんがあり、レンタルビデオやCD、ビリヤード場まである少しアミューズメントな本屋さんがあり、しかも夜遅くまでやっていて、なにかを探したい時によく行っていました。
今思うとそこがわたしのGoogleだったのかもしれません。
そこで出会ったモノゴトを手がかりにもっと深堀すべく専門的に扱っているところへ出掛けて行くのでした。

といっても、今インターネットがあるからといって、頭の中にない言葉や知識には出会えないこと、ひとかけらの言葉を元に能動的に探究しないことには、思いのモノゴトに出会えないのは、今も昔も変わらないのだと思います。
それは職業であっても同じで、仕事をし始めて色々な人と出会い、へ〜こんな職業があるんだ〜と知ることの多さ、、と当然のことといえば当然なのですが、もっと早く出会えていれば、その職業を目指してかもな〜と思うこともあり。。。
とはいえ、わたしも縁もゆかりもなかったグラフィックデザインに出会ったのは全くひょんな出会いがあったからに他ならないのですが。

子供の頃から絵を描いたりモノを作ったりするのが好きでしたが、それがグラフィックデザイナーに繋がったのかはナゾなのですが。
ただその延長で芸術大学へ進学したのはあったかもしれません。
というのもいわゆる5科目の勉強が大嫌い、、というか出来なかったので唯一成績の良かったのは図工・美術という当時の典型的な芸大生でございました。

高校受験の時、芸術系の高校があるのをどこかで知って親に相談したこともありましたが、その話はどうなったか覚えていませんが、有耶無耶のうちに無くなりました。
といっても普通の地元の高校へ入ることすらひぃひぃ言っていたのは先にお話ししたとおりです。


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最初の分かれ道

高校2年を迎える前に芸大・美大向けの予備校みたいなアトリエを親が見つけてきて紹介されました。
高校を卒業して直ぐに働く気はなかったのですが学弁の成績が芳しくないわたしを大学というというところに行ける唯一の道でもありました。
画家の先生と奥様が営むそのアトリエはご自宅を利用した予備校というには少し小さめのアトリエ。
わたしは中学生から続けていた陸上部で、高校になってからも続けていました。
初めての面談の時、先生から「君は将来、陸上で食って行くのか?」と。
というのもアトリエは日曜日も授業があり、陸上の試合も日曜日にあったりと両立は難しかったのです。
その一言でぱったり陸上部を諦め、芸大・美大への道を選んだのです。
当然といえば当然で少しは足は早かったものの、とても陸上を将来の生業にするなど想像できなかったというのもありました。

アトリエの授業がない時間は先生が創作するアトリエという感じで、常にいくつか制作中の大きなキャンバスが立てかけてありました。抽象画や風景画、よくデッサンの合間に眺めていました。
先生の本筋は抽象画だったのかもしれません。一緒にその抽象画を眺めながら、時々「こんな絵はあんまり売れへんねん。やっぱり風景画の方が売れる」とおっしゃる先生。
大きなキャンパスはド派手なピンクで塗りつぶされいくつかのシャープな輪が配置された、前衛的な絵でした。
授業はフローリングにあぐらをかいて、カルトンを立てかけてひたすらにデッサンをするスタイル。
先生はいつもタバコを吸っておられ、生徒がデッサンをしている最中はその絵を眺めながらブラブラとしておられた。
そして時間の終わりには全員のデッサンを床に広げ、先生が一つ一つ品評をなされる。
しかしながら合格率99.9%を誇り、希望の専攻は叶わないかもしれないけどほぼ全員が何かしらの芸大・美大へ進学出来ていたのは驚きで、何も疑いなくそれを信じてひたすらデッサンを続けていました。
浪人生は受け入れない。デッサンは年数を重ねると誰でも上手くなる。
しかし何かが失われると先生はおっしゃっていました。
またいわゆるデッサンと受験のデッサンは違う。ここでは受験向けのデッサンを教え込む。
当時その違いなど全く分からなかったけど、同じ生徒で1人とても上手い人がいました。
何向けかは置いておいて、とにかくハッとするうまさで、それはとても形をよく掴んでいて、構図も良い。しかもコントラストがある描き込みの中に階調もあり見せ所も上手い。という一目見ただけで、おぉうまっ!
こんな風に描ける様になりたいな〜と、よくその人のデッサンを見ていました。


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志望選択の自由

そうしてアトリエに通い始めて2年が経とうとした頃、そろそろ受験をする学校や専攻を決めなければいけない時がやってきました。
◯◯デザイン科、◯◯デザインコース、、など色々なコース名があり、どれを選ぶか受験の日程などと照らし合わせながら、どこの何を受験するかを決めていきます。
はっきりいってまだこの時、何デザインが何をデザイン(?)するのか全く知りませんでした。
聞いてもピンとこない。学校案内などの資料を見てもいまいちピンとこない。
プロダクトデザインコースや建築デザインコース、工芸、陶芸などなどモノのカタチを表す割と分かりやすい名前のところは大体わかる。
しかしグラフィックデザインコースやインフォメーションデザインコースなど「視覚的に情報を伝達するデザインのコース」。
ふむ。。日本語で何を言っているのか頭で分かっても、具体的に何をするのかわからない。難しそう。。
まぁ、、なんかの絵を描くんだろうな。というくらいの知識。
今になって思えばそもそもチラシやポスター、本などの巷にあふれる印刷物なども誰かが作っていたわけなのですが、当時はそこに全く直結せず。。。

アトリエに通いながらも、わたしの周りにその様な話を持ち合わせていた人も一切おらず、わたしとグラフィックデザインの出会いはまだ少し先になるのです。


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