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グラフィックデザインとの出会い(2) 芸大受験 めでたく合格するも

さて3回目のお話は、いよいよ受験を迎えグラフィックデザインと出会うお話。
ついにわたしはグラフィックデザインと出会える。。。のでしょうか?
若干、脱線気味ですが、、このまま行きます。


ふと思うのですが、今グラフィックデザイナーを目指す若い人たちがどれだけいるのでしょうか。
わたしが目指した四半世紀前と今ではグラフィックデザインと言うものの捉え方が変わっているのか、はたまた大筋はそんなに変わっていないのか、、、この辺りあまりはっきりしません。
とはいえ、わたし自身やっていることはそんなに変わっていないと感じるのです。
とはいえ、わたしが始めるもっと前、日本では本格的に始まったのは戦後だとも言われておりますし、とはいえ(3回目)、広告という意味では、何かを誰かに伝えるという意味では、もっともっと昔からあります。
さて、、今の若い人たちならでは、グラフィックデザイン像というのがあるといいなとも思うのです。
それは出来上がったアウトプットでも良いし、そのプロセスでも構わない。
もう少しするとまた新卒の人が入ってくるので、今、何を感じてグラフィックデザイナーを目指したのかとか、また聞いてみたいなって思っています。



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とりあえず芸大生を目指す

アトリエに通い始めてメキメキとデッサンの腕を上げているのかというと、割と四苦八苦しがち。
同じ大学を目指す友人とはライバルでもあり、良き相談相手。といっても友人は建築系志望。
もっぱら話題は受験のことで、その先の話はほとんどしなかった。
わたしも流されて流されて、興味があるのかあまりよくわからない専攻に受験を試みるのでした。
環境デザイン学科、情報デザイン学科、工芸学科。。と、どちらかといえば受験日の都合でチョイスした選択。
受験のチャンスは全部で3回。1回は3日間で同時に3専攻が行われる。
合計9日間の受験となるのですが、1日目は実技試験で3〜5時間、専攻によってずっとデッサンをすることもあるし、実技と論文の組み合わせもあった。
2日目は筆記試験の3教科のテストを行い、3日目は面接と充実した試験内容で、それを3セットこなすというなかなかのもの。
1専攻の受験だけでも受験料がかかるのに、それを3回も受けさせてくれた両親には感謝しかない。と、思えたのも、唯一、工芸学科のテキスタイルデザイン(通称:テキ)というコースに合格をした時でした。またそんなに裕福ではなかった我が家にとってよく4年間の授業料を工面して頂けたことには本当に感謝しかありません。
と、自信などなく、合格発表を見に行く道すがら、電車で片道2時間とさらにバスで15分ほどという長い道のりは果てしなく遠く感じたものでした。
はり出された合格発表にわたしの番号を発見した時は、さすがに、涙した。


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デザイナーという響き

さて、工芸学科のなかでも唯一横文字のこのテキのコースはというと、正直何をするのかよくわからない、染、織、プリントなど布に関わることを全般的に広く浅くやるんだ、、というのを知ったのは入学してしばらくしてからのこと。
正直、講義はつまらなく、隣でやっている金属工芸や陶芸の方がとても楽しそうに見える。
ツナギを着て火を扱ったり、土を扱ったり、図工が好きだったわたしには手でモノを扱うとても楽しそう。
時々、潜り込んで作らせてもらったりした。
この時、デザイナーという職業はまだ知ってはいましたが、実際デザインの現場では何をしているのか知る手立てもなかったのです。
どちらかといえば、好きな絵を描きたい、好きなものを作りたいという作家な志向で、何かちょっと違う。。
わたしのコースはとても綺麗め。教室も綺麗。今思うとアパレルとかのデザイン室?
みたいな感じで、服が汚れるような要素は全くなく、当然、同期のみんなも「デザイナー的」な意識高めの綺麗めで、特に女子が多かったというのもあったかもしれません。

当時、世はバブルの真っ只中。洋服のデザイナーズブランドも華やかで、デザイナーというと、ああいう感じ?
反面、そんなイメージから横文字の職業は割と気恥ずかしさと何処か流行りの刹那的な印象を抱いていたところもあり、職業としてのデザイナー、またグラフィックデザインに出会うまでまだ少し時間を要しました。

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