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「今」を生きる、とは

お久しぶりです。
denと呼ばれたりでんでんと呼ばれたりしているパーソンです。

6月いっぱいで仕事を辞め早2ヶ月が経ちました。
仕事をしている時から変わらずではあるのですが、日々色々なことを考えています。
でも考えているだけで、発信したり行動したりするのが億劫だったり苦手だったり腰が重かったりめんどくさがりだったりたまに病んでたり(まぁ色々)…で、中々実行しない、だらしない者です。
一方でフッ軽を自認しており、周りにもたまに言ったりしている、一見矛盾しているように感じさせる、そんなdenです。

話を戻しますが、、、
考えれば考えるほど自分は、アイデアを生み出したり考察したり「考える」ことそのものがスキなんだなぁと、改めて、そして何度も気づく日々です。

ただ、考えることって基本的に未来や過去に馳せてる時なんじゃないかなと最近思うようになりました。
今目の前の事象をどうにかしよう、と考える時でも過去の経験や将来どうなったらいいか、などを想像して考えることがほとんど(てか考える時点で紛れもなく、そう?)なのではないかと思うのです。

考えるのがスキな私ではあるのですが、そうやって考えてばかりいるから気付いたら月日が経っていたり、目の前の楽しいことや美味しい食事を、極端に言えば心ここに在らずで過ごしてしまい、ただ人生を消化する形になってしまっている所はあるよなぁと思うわけです。

もちろん考える時間や心や物質的なゆとりや環境があるから、できていることでもあります。一方で矛盾しているようですが、将来に対する「資本や心や時間」などについて「焦りや余裕の無さや不安」などがあるから、考えざるを得なくなって考えている所も間違いなくあると思います(ここでは「今を生き抜くために」というのも「将来に対する」に付随するものとします)。
つまり余裕やゆとりがあるようでないように考える。あるいは実際にないから考える。前者については思考の癖なのかもしれないし、前者後者ともに言えるのは、そう考えさせてしまう日本社会ひいては日本の政治のせいなのかもしれません。

余談ですが思考の癖と言えば、元々の仕事で段取り八分と言われ続け(仕事がらそういう仕事だったのはある)仕事をこなしてきた側面もあるからかな、と自己分析したりしてます。

未来のことについて考える動物は人間くらい、と言います。
だからいつも人間以外(以下、他)の動物の生きる姿を見て思うことがあります。他の動物はいつも今を生きてるよなぁ、幸せそうだよなぁ、と。
そもそも将来のことを考えられたり想像することが「できる」って、難民の人達や虐殺され続けているパレスチナの人達と比べると、特権だよなとも思います。だからこそ特権を使い、声を上げ続けないといけないなと思います。(できていない、してない人達を否定する主旨のものではありませんし、比べるものでもないと思います)
…本当に話したかったことは、別だったんですがやっぱりこういう話になってしまいますよね。

まぁつまりは、考えることがスキな自分だしそれを自己否定はしないけど、もう少し「今を生きる」をやってみてもいいんじゃないか、どうやったらできるんだろう(またここで考える)、やれるようになりたいな。最近それができた時もあって、その日の充足感、満たされる感じをもっと味わいたいな、と思い、なんとなくその事を書きたくなったので書いてみた。そんな内容でした。(ホントはなんでそれができたのか、深掘りしながらその時のことも書きたい)

みんなの「今」を生きる、を良かったら聞かせて✉️

※走り書きのままの投稿ゆえ、まだまだ話したいことはあるし、包括的でなかったりする箇所もあるとは思います。がご愛嬌でお願いしたく存じ上げます



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