フェアウェル
かあさんが死んだらしい。
そのことを聞いた時、今朝大声で謝ってた女の子のことを思い出した。
結局、たくさんの簡単な言葉を、わたしは言えず終いだった。
スピーカーの向こうから、聞いたことないとうさんの声が流れてくる。
あと5分で昼休みが終わる。
また後でかけ直すからと伝えて、携帯を耳から離した。
そんなに広くないオフィスが、とんでもなく広く感じた。
隣の同僚が心配してくれたので、事情を話した。
そして、彼女に言われるがままに、午後からは有給を取った。
早く帰ってあげなよ。
そうだよね、と言ったけど、どこに帰ったらいいのかもわからなかった。
荷物をまとめ、ビルから出る。
とりあえず、とうさんに電話しなくちゃ。
何度か指を滑らせてしまいながら、カバンからようやく携帯を取り出した。
もう、仕事は終わったんか。
息が震えた。
うん。昼から休みにしてもらった。だから、これからそっちに帰ろうと思って。
「おかえり」の声を思い出した。
そうか。じゃあ、家に着く頃には、病院からかあさんも帰ってきとるな。
はよう、会ってあげんさい。
会っても、もう、聞けないんだ。
うん。
鼻の奥が、つんとした。
きぃつけてな。
ぐらっと、景色が揺らいだ。
うん。じゃあ、後で・・・
やっとの思いで、電話を切った。
実家に帰っても聞けない声があることが、
二度と喧嘩や仲直りができないことが、
何かが抜けてしまったようなとうさんの声が、
とても、とても怖くなって、寂しいと哀しいが混ざって大きくなって、
目頭と鼻の奥は熱いのに、何かが邪魔して涙が流れない。
駅についた。改札を通る前に、深く呼吸をした。
もう少しだけ、しっかりしろ、わたし。
わたしは、今からさよならを言いに行くんだ。
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