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我慢するオシャレの時代は終わった

先日のツイートで、私の嫌いなオシャレ語録を呟きました。​


「オシャレは我慢」も、「中敷入れれば履けますよ」も、どちらも【マスが基準の言葉】だと感じます。自分が基準ではなく、外に基準があって、それに自分を合わせるオシャレ。

それが、私は嫌いなんです。

「オシャレは我慢」の意味

「オシャレは我慢」というのは、快適さよりも見た目に重きを置くこだわりがないと、オシャレには見られないよという言葉だと思います。

体調より何より、オシャレに見られる事が人生で最優先な人は、それでいいのですよ。プライオリティはそれぞれなので。

ただ、「オシャレとは我慢です」と定義してしまうと、「ダサい人は我慢が足りない」という肉体の根性論なわけです。

元気で我慢する根性がある人しかオシャレになれません、という強気の理論より、病気や加齢で身体がしんどくても、素敵な服で気分を上げたいね!という、一人ひとりに寄り添うオシャレが私は好きです。

「中敷入れたら履けますよ」の意味

私は、足の幅がとても狭いので(ワイズA〜B)、巷のほとんどの靴は大きくて脱げてしまいます。

すると、店員さんは大抵良かれとこの言葉をおっしゃいます。あと、自分の欲しいサイズが売り切れている時も、一つ大きいサイズの物をすすめて、この台詞。

確かに、中敷で解決する人もいると思います。

ただ私は全体的な足の幅が狭いので、中敷を入れて甲を詰めようと、かかとパッドをつけようと、歩けば横のホールドが皆無なのでカパカパになるのです。なので、勧められても購入する事が出来ません。

これは、店員さんだけでなく、靴業界の構造の問題とも言えます。私に他に売る靴がないからです。画像2

甲高幅広の足の人が比較的いる日本では、実は、靴は大きめなものがとても多いのです。何故ならきつくて履けない小さな靴より、クレームになりにくく売りやすいから。

小さいものは足を入れた時点で痛くてそもそも売れないけれど、大きいものなら合わなくても売り場で痛みがないので売れる可能性が高い。だから、「中敷入れたら履けますよ」が頻出ワードなんですね。

大は小を兼ねる、という、マス向けのサイジングの商品が日本の靴です。海外製品になると、幅狭靴もポツポツあるのですが。

しかし、大きな靴だって、合わない靴は中で足が泳いで、前滑りして結局足が痛む事に変わりはありません。

メンズのローファーや紐靴ならまだしも、女性向けの甲の浅いパンプス類は中敷で履いても前滑りで外反母趾を作り、皮もめくれて悲惨です。故に「中敷入れたら…」は親切な言葉ではないケースも多いのです。

(かつて百貨店の靴売り場の方に、ここに貴方に売る靴はないと断言された事がありますが、悲しくもとても誠実でしたね…。)

身体を壊すアイテムが圧倒的に多いのがレディースもの

正直、靴売り場には、「女性らしいが、長時間歩くには全く適さない」という靴が沢山あります。言い方を変えれば、歩けない靴が山ほど売っているんです。

メンズに比べてレディースは自由度が高い分、まるで実用性がないアイテムが紛れているんですよね。

数あるファッションアイテムの中で、靴は特に女性らしさという抽象的な概念と、歩く・走るという実用性とが、一番相反するデザインとなって現れるアイテムです。

ハイヒールやサンダル、ミュールなどは、元々馬車移動のお姫様に合わせた靴ですから、体重を支える構造がとても弱く、1日歩き回れるものではありません。

筋力が弱い上に関節の柔らかい女性は、変形性膝関節症のリスクは男性の4倍。外反母趾だと10倍です。靴で足や膝を痛めるのは圧倒的に女性だということ。

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そしてフェミニン、セクシー、エレガント…そうした西洋由来の女性らしいテイストというのは、失神するほどのコルセットを巻いていた貴婦人たちがいたように、「室内で人に見られる」事を重視していて、身体に優しくないものがあります。

薄手、肌見せ、ヒール…それらはそもそも冬や冷房、屋外の活動に合わせて生まれたアイテムではありません。

そのせいでレディースものというのは、「女らしく見られたいなら寒さや痛みを我慢しろ」というようなアイテムがすごく多いんですよ。

私は鍼灸師時代、実際に我慢し続けた末に、冷え性、自律神経失調症、婦人科疾患、不妊症、変形性膝関節症などになった女性を治療していました。

我慢を強いるアイテムだけに女性らしさの表現を頼っていた人は、それをまとえなくなった事で、身体と心、両方に喪失感を感じていらっしゃいました。病気な上に、女らしいファッションが全く出来なくなったと。

当時の私はそんなことはないと思っていても、具体的なファッションの提案が出来ず、とても悔しく思ったのを覚えています。

これが女性らしさです、これがオシャレです、とマスが提案するものに、自分を合わせて我慢する。それで得られる美しさは、絶対に長続きしません。我慢している時点で、自分に合っていないからです。

そして身体を大切にしないくせに、身体と顔が勝手に美しく輝くということはありえません。

女性らしさが女性の健康を奪うような、矛盾したシステムなんて、この時代さっさとなくなればいいのです。ファッションは工夫が可能で、時代とともに変わるのですから。

人によって映える女性らしさはそれぞれ。身体に負担のない、女性らしいデザインや、色、小物など、他のアイテムで女性らしさを足すことはいくらでも出来ます。

しかも実用性の高いカジュアルやスポーティー、マニッシュといったテイストをミックスさせたりと、レディースファッションの自由度はかつてよりずっと増えています。

その塩梅やバランスが分かるのがイメージコンサルティングの素晴らしさ。それが、マス向けのファッションにはない素晴らしさだと思います。

我慢と引き換えのキレイさなんか、もはや古すぎる

20代だけ我慢がデフォルトの綺麗を売りにして、30代ともなればいい歳で、忙しいし身体も疲れてくるから、それ以降はずっと実用重視のダサファッション?

極端すぎるし、そもそもそんな時代ですかね??あまりにも古くないですか??

若いうちだけ花だ旬だと、女性を生鮮食品みたいに言うのはあまりに古く失礼で、そして女性の人生は長く、どの瞬間も尊いのですよ。

ココシャネルを始めとして、古い女性像からの開放は、デザイナー達も見据えた未来だったはず。

コレクションを見れば、活動的でジェンダーレスな、新しい時代の女性のファッションの提案に溢れています。それをどう日常に落とし込んでいくかの知恵が、保守的な世間にまだ行き渡っていないだけ。

大量廃棄が問題になるほど服が余っているのに、快適でキレイでいられるファッションスタイルがないなんておかしいですよ。

活動的に、快適に、自分らしく生きる事で削られる女性らしさなんかあってたまるか。

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アパレルには正直厳しい時代だと思います。

でも、私は女性の身体の側からファッションを見てきた人間なので、これからのパーソナルな時代に胸が躍ります。

◆雑誌モデルの画一的な美に、怯えながら自己を改造する女性が減ること。

◆それぞれの身体の特徴を生かしたスタイリングの情報が行き渡っていくこと。

◆ショップスタッフやデザイナーさんのこだわりや人柄をSNSで感じられ、アパレル業界との距離感が縮まること。

◆自分が足を運ぶ店だけではなく、ネットで世界中のアイテムとの出逢いに恵まれること。

◆自分らしくいることが素晴らしいという時代で、それを誰もが発信出来て認め合えること。

優しいファッションの時代が来てくれたと思うのです。ファッションがどんどん女性を解放していけばいい。

女性の長い人生、いくつになっても自分らしく、健康で、綺麗でって、欲張ってやろう。そのためにこれからのファッションはあると信じてる。


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