【自伝】無責任な一言。
僕の人生は、一度も「よくできる子」なんて
褒められるようなことは無かったと言える。
4つ上のお兄ちゃんは、小学生の頃から
勉強もできて、スポーツもできて、ゲームも上手くて、
いつも「下位互換」のような劣等感もあった。
唯一好きな事は、自由帳に絵を描く事。
「ともきは絵が上手だね」と褒められることが、
小さな誇りだった気がする。
しかしそれも、
小学1年の時に出会った同級生の画力を見て、
「自分の実力なんて自慢できるものじゃない」と
子供ながらに感じたのを覚えている。 (ルックバック!)
そこからの小学校LIFEは、自己スコア40点くらい。
集中して勉強はできない。テストの点も良くない。
身体はガリガリで頭はデカく、体育は一番苦手。
図工は好きやけど、何の役にも立たん。
お母さんに読んでもらわなあかんプリントは、
いつもランドセルの底でクシャクシャになってた。
みんなが出来ることがいつも "ちょっと出来てない"
そんな子供だったと思う。
6年生になると "みんなと同じこと" が嫌で、
ランドセルじゃなくて肩掛けカバンで、登校してた。
「ランドセルは "今" しか出来ないんだから〜〜」
みたいな先生の説得(?)が嫌だった。
(そんな話をしによく担任の先生が夜家に来てたな。。)
中学生になって "絶対に入らなきゃいけない" 部活。
友達の真似をしてバレー部に入った。
"運動ヘンテコ少年" には、最悪の日々だった。
中1の夏休み(体育館暑すぎ)くらいから、
部活には行かなくなった。(学校は行ってたよ)
あんまり文章には残したくないことを、色々してた。
(ヤンキー!喧嘩ゴラー!とかじゃない。骨骨でそんな度胸はないヘボ少年なので)
その頃から、思春期?反抗期?みたいなものが、
強烈に膨れ上がった "めんどくさいヤツ期" が、
高校→専門学校に至るまで続くのであった。
あー言えばこー言う。
みんな "こっち" なら 自分は "あっち"。
あえて反抗している自分と、
本当に心地いいからそうしてる自分と、いたと思う。
「夢」とか「努力」とか、キラキラした言葉が、
ずーっと気持ち悪くて嫌悪感を感じてた。
大人からは「よーわからんし面倒くさいし放っとけ」
と思われてたやろなと思う。
そんな少年も20歳を迎える。
この頃、美容師になると専門学校に通っていた。
(今まさに働いている、まさにココに...)
それはもう "めんどくささ" には一層磨きがかかり、
いかに大人の言うことを聞いて "やらない" か。
いかにみんなと違うことをするか。(存在アピ)
いかにやらなあかんことを最低限に済ませるか。
いかにサボるか。
そんな事ばかり考えていた。
そんな "重度厨二病患者" に、ある出来事が訪れる。
あれは多分、放課後。
校舎と校舎の間にある自販機でジュースを買っていた。
ある一人の先生(今はもういない)が、近づいてきた。
「オマエみたいなモンが、えー美容師になるんや。頑張れよ。」
「...はぃ。(首ペコ)」
普段しゃべった記憶もない、そんな先生に。
なんーーーーの根拠もない一言をくれた。
そんなんに、騙されるワケない。
そう言いたいけど内心、嬉しくない、ワケない。。ムフ
そして...
そこから僕の人生は一変した!!!
みたいなこともなく、ダラダラと過ごした。
社会人になり就職して、4ヶ月で挫折した。
(別の場所で美容師は続けたよ)
相変わらず、生意気やのにやる気のない、クソ餓鬼。
「やっぱり40点人間やな」と思わされていた。
だけど、落ち込む度に思い出すんだよ。
「オマエみたいなモンが、えー美容師になるんや。」
って一言が。
あんな無責任な一言が、僕の底を支えてくれた。
それから紆余曲折、遅咲きながら、
"他人を幸せにすること" が自分を浄化していった。
"他人を幸せにすること" とは "仕事" のこと。
幸い、美容師という職業は、直接人に触れる。
平気で2時間とか、お客様と近い距離で、通じ合う。
今の自分は確実に、お客様と、僕を育ててくれた同僚の皆さんから作られている。
そしてその底には、やはりあの一言がある。
ずっとある。
なんなら1日1回は思い出してるかもしれん。
「オマエみたいなモンが、えー美容師になるんや。」
現在僕は、
そんな無責任な一言を、若者にお返ししている。
本当になれるん? 自分次第や。
根拠は? ごめん、根拠はない。
保証してな? それは無理。
本当に思ってる? 本当に思ってる。
本当に思ってる。
俺がここまでできたんやから。
できるんだよ。
振り返って、自分がやってきたことを見渡しても、
コレといった結果も自慢も自信もないかもしれん。
やけど、可能性なら、ある。
誰一人かける事なく、全員にある。
だからこの言葉を "置いとける場所" はある。
そう信じて、お返ししてる。
先生、あの時は、
ありがとうございました。